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四国88カ所遍路旅 戦争と平和、命と向き合う

 歩くことが好きだ。歩いていると気持ちが解放されて空想が豊かになりそれが夢につながる。中学生の時、新聞配達をしながら遠い外国へ行きたいと夢を広げていた。その頃から年代に応じていろいろな場所を歩いてきた。

 そのような流れで、「『日本縦断』徒歩の旅」を考えるようになり、5年前、65歳の時に北海道から故郷の沖縄まで3300キロを5カ月かけて歩いた。私は夢は抱き続けていればいつか実現すると思っている。四国遍路も夢のひとつだった。

四季を歩く

春の高知。桜に彩られた神峯寺の参道

心筋梗塞に襲われながら、70歳を前に結願達成(左)、冬の徳島。焼山寺への雪道を行く

 2005年4月30日、ベトナムのホーチミン市で戦争終結30周年記念パレードを撮影した。その時、ベトナムとカンボジアで戦争を取材中に亡くなった15人の日本人ジャーナリストを慰霊しながら、四国遍路を実行しようと思った。15人のうち12人は友人、知人だった。

 四国の88カ所の寺は1200キロの距離で結ばれている。普通、40日から45日ぐらいで歩いているようだ。私は自然の変化を見ながら四季に分けて歩くことにした。

 2006年2月、「冬の徳島」を1番札所・霊山寺からスタートした。この寺の売店には遍路に必要なすべての品が揃っている。何もなくても遍路はできるが、私は白衣を一度着てみたいと思っていた。納経に必要なローソク、線香、納札、納経帳などを買った。

 多くの人は本堂と大師堂に向かって般若心経を唱えているが、私は心の中で亡くなったジャーナリストたち一人ひとりに呼びかけ、「みなが生命をかけて報道した当時の戦争の悲惨状況は、現在の人々に受け継がれている」と報告した。

 日本縦断では、その日その日の宿が目的地だったが、遍路は次々と寺が待っているので歩きやすい。ベトナム戦争取材中、心配をかけ通しだった母と弟にも礼拝の度に謝罪し、15人以外の友人たちの慰霊もした。四国遍路は亡くなった人々を思い出し、対話する旅でもあった。

心筋梗塞

秋のお礼参り。高野山の大門

 私は感動を受けることは人生の大きな喜びであり、目に見えない財産と思っている。「日本縦断」同様、四国遍路も感動の宝庫だった。珍しい風景、人々との出会い、接待、宿での食事と酒などに感動があった。

 冬の旅では雪の山道を歩いた。「春の高知」では桜と菜の花の中で爽やかな気持ちになった。「夏の愛媛」では蝉の音に励まされた。子どもから頂いたアイスクリームの味も忘れられない。

 10月、「秋の香川」を前にして心筋梗塞となり、病院で電気ショックを5回受けて蘇生した。心臓の筋肉の一部が壊死してもう治らないと言われてがっかりしたが、退院後、6カ月のリハビリウォーキングをした後、昨年の5月、香川へ向かった。

 心筋梗塞を体験すると、再発を恐れ運動も途絶えがちになり、うつ病になる人が多いという。香川は私にとって病気に対する挑戦の遍路でもあった。弥谷寺540段、「こんぴらさん」1368段を含め、2500の階段を上り下りした。

 88番大窪寺ではあらためて亡くなった人々と対話した。

 「心筋梗塞に負けなかったぞ」と感動の伴った結願だった。秋を迎えてもう一度大窪寺へ行った後、霊山寺、高野山を回り念願の紅葉を見ながら、生きていて良かったとあらためて命がいかに大切であるかを実感した。

平和の願い

夏の愛媛。浄土寺でセミを捕る親子

 ベトナム・カンボジア・ボスニア・ソマリア・アフガニスタンの戦場を撮影し、命と共に多くの夢のある人生を奪われていく人々の姿を見た。沖縄、南洋群島、中国、朝鮮半島で日本の戦争を取材して、日本の誤った戦争のために尊い生命が奪われたことを知らされた。

 一度に多くの死者が生じる戦争をなくすためにはどうしたら良いのか。世界の人々が、お互いの国と人々を、理解し友情を深めることが大切だ。それには文化、スポーツ、貿易、観光を通して交流を重ねることだろうと思った。(石川文洋、報道写真家)

[朝鮮新報 2008.11.19]