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〈朝鮮の風物−その原風景 −15−〉 チゲックン

外国ではエキゾジズムと絶賛

 1世紀前に朝鮮をおとずれた外国人の目に、ものめずらしく映ったもののひとつに繁華街や市場で客待ちするチゲックンがある。

 チゲックンとは、荷物の運び屋、今でいうポーターである。外国人がチゲックンに関心をよせたのは、独特の形をしたチゲにエキゾジムを感じたこともあろうが、100キロちかい荷物を一人で運ぶことのできるチゲのすぐれた機能に感心したせいでもある。それでかれらはチゲを「朝鮮の卓越した発明品」(ジークフリート・ケンテ「朝鮮見聞録」ドイツ)と大げさに賞賛する。ちなみに、上が狭く下に広がるチゲは、イーゼル(画架)や、アルファベットのAに似る三角形だが、この三角構造によって加わる重力をうまく分散させる性質を巧みに活用したすぐれものである。

 「チゲ」は、「背負う」の朝鮮語「지다(チダ)」が名詞化したもので、その歴史は三国時代に遡る。それが文献に現われるのは17世紀の「譯語類解」(清国語教本)だが、18世紀の「増補山林経済」には「負持機」(부지기(プヂギ))の表記が見え、重複する「負」が抜けて「チゲ」の呼称に固まったものとみられる。

 チゲにも地方差があり、平地と山間地帯でも作りがちがうという。たとえば山間地帯で使うチゲの脚は平地のそれに比べ短い。山間の傾斜地にチゲ脚がとられないようにするための工夫である。平地のチゲ脚の長いのは、バランスがとりやすいだけでなく、少しかがむだけでチゲ脚が地面につき一休みできるという知恵からだという。

 全国各地にチゲと関連する民俗ノリ(戯)や歌謡が数多く分布するのは、それだけ人々の生活に深く根をおろしていることの証といえるし、チゲにまつわることわざも少なくない。たとえば「両班がチゲを背負う」(不釣合いなこと)、「一つの肩に二つのチゲ」(不可能なこと)、「チゲ背負って初夜むかえるのも勝手」(他人がとやかくいうことではない)など、なかなかうんちくに富む。

 詩や文学に現われるチゲも多い。ソウルなど都市にはムルチゲックンとよばれる水売りを生業とする人々がいるが、それに材をとった詩「北青水売り」がある。北青出身の水売りは勤勉なことで評判がよかったそうだ。かれらは水売りで一家の生活を支えただけでなく、子どもを大学まで行かせたというから、そのバイタリティーは尋常ではない。

 朴趾源の「穢徳先生伝」は肥汲みを主人公にした小説である。近代以前の叙事文学は英雄、偉人を主人公にしているが、「穢徳先生伝」は無名で平凡、しかも「卑しい」肥汲みを生業とする人物を主人公に設定している点において画期的であり、近代文学の先駆け的小説といえる。この小説は肥汲みの高潔な人間性を通して、腐敗堕落した両班を厳しく批判している。朴趾源はこのほかにも乞食を主人公にした「広文伝」で、売官売職にふける両班社会の腐敗を痛烈に批判している。

 昔話には年老いた父親をチゲにのせて山に捨てにいく痛ましい説話がある。日本の「楢山節考」と同じモチーフである。歴史に現われた逸話としては、麦の生産に熱心だった世宗が景福宮の後苑に畑を作り、自ら肥やしのチゲを背負って人糞を撒いたという記録がある。これをみて重臣たちもやっと重い腰をあげたというエピソードだ。

 時代の波に押されて私たちの前から姿を消しつつあるチゲだが、そのまま失うには惜しい存在である。(絵と文 洪永佑)

[朝鮮新報 2008.11.25]