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〈朝鮮史から民族を考える 29〉 在日同胞と民族

生き続ける抵抗ナショナリズム

海外同胞の動態的特徴

開天節記念大会。民団の名称が「在日本朝鮮慰留民団」とある(1947年10月)

 2007年の統計によれば、世界の169カ国に居住する海外朝鮮同胞数は約704万人に達する(留学生や一般滞留者を含む)。居住国でみると中国(約276万人)、米国(約202万人)に次いで日本が多いとされる。日本における同胞数は約89万人、その内訳は永住権者約50万人、日本国籍取得者約30万人、一時滞留者(留学、一般)約10万人である。海外同胞の動態的特徴をみれば、@近年、毎年約30万人から60万人程度増大していること(増大)、Aその主な理由は人口の自然増加に加え南朝鮮から海外への移民、留学の増加などが考えられるが、中国朝鮮同胞をはじめ各地同胞の海外移動も多くなっていると思われる(流動性)。

 この統計から考えるに、本国人口総数の約1割をも占める海外同胞を有することから、統一運動をはじめさまざまな朝鮮問題解決において海外同胞が果たす役割が今後ますます高まっていくであろう。現南北当局および新しい統一国家には、海外同胞の実情を踏まえた海外同胞諸政策を取っていくことが望ましいという視点が求められよう。

 在日同胞に目を移してみると、国籍構成において他の海外地域では見られない朝鮮籍・「韓国」籍を保持する特別永住権者(植民地期に日本に来た朝鮮人とその子孫)が多く、その数は次第に減少しているものの、日本国籍取得者や南朝鮮からの留学生、一般滞留者を含めると同胞の総数は若干増大している。

 このことから今、民族団体には、特別永住者を主な対象とした従来の同胞政策にとどまらず、多様な同胞の要求をも包摂する諸政策を打ち出し、在日同胞全体をつないでいくことが求められているといえよう。

在日同胞および言語の呼称

朝鮮語学会の機関紙「ハングル」(1927年2月創刊)

 日本社会では「朝鮮」が忌避され、「在日韓国人」「在日韓国・朝鮮人」「在日コリアン」、また「韓国語」「韓国・朝鮮語」「コリアン語」という言葉が幅を利かしている。その近因としては、90年代以降顕著になった朝鮮バッシングの中で、「朝鮮」は人目をはばかる言葉になってしまったことがあり、遠因には植民地意識と反共・分断意識と支配の論理がいまだまかり通っているためであるといえる。

 徐勝は、このような日本の現状に対して、「朝鮮≠ェ、日本において抑圧され、憎まれ、蔑まれる限り、私は朝鮮≠言い続ける理由はあると考える。朝鮮≠ヘ解放されなければならない」(「イオ」2007年2月号)と力説している。

 そもそも歴史的にみれば、私たちの国号・民族名の呼称は一般的に「朝鮮」「韓」「高麗」という言葉が使われてきた。一時期、「大韓帝国(大韓国)」(1897〜1910年)・「大韓民国臨時政府(上海臨政)」(植民地期)が存在し、「大韓国人」という呼称も使われたことがあるが、1948年に発足した李承晩単独政権(「大韓民国」)は「憲法」で上海臨政との「継承性」「正統性」を標榜しているが、その実は上海臨政の指導者・金九を暗殺し、その名を盗用して発足したことから、以前の「韓国」とは断絶していることがわかる。言語についても、歴史的に「正音」「諺文」と呼ばれていたが、19世紀末から20世紀初頭に「朝鮮語」「国文」「韓語」と呼ばれるようになり、植民地期には「ハングル」(偉大な文字という意)も使われるようになった。「韓国語」という呼称は単独政権発足以降に分断固定化のために人為的に使われ始めたものであって、それ以前はまったく使われたことがないのである。

 日本で幅を利かしている上記の呼称は歴史を無視し分断を助長する言葉なのであり、一般的には「朝鮮」「在日朝鮮人」「朝鮮語」が使われてしかるべきなのである。

在日同胞のアイデンティティ

 一部知識人の間で、多文化共生社会論・女性解放運動論など在日同胞のアイデンティティが多様化していることを理由に、これからの在日は脱民族主義をめざすべきだとする見解が見受けられる。

 はたして民族主義は古いものになってしまったのであろうか。多文化共生社会論において見受けられる「定住化」「在日志向」を強調する言説は、在日同胞を「日本国内のマイノリティに対する政策問題としてのみ見る傾向を助長し…朝鮮半島の歴史や政治状況と絡めて統合的に見る視点と実践を実は奪ってきたとすら言えるのではないだろうか」(李恩子)とする指摘もあるように、個々のアイデンティティは、決して個人の選択という次元でのみ語るべきでなく、その「個」の歴史的、社会的関係性の文脈で語るべきであると思う。

 解放後60余年が過ぎた現在、在日同胞の世代交代、価値観の多様化など主体的条件は変わっていったが、その反面、在日同胞をとりまく客観的条件は大きく改善されたとはいえない。日本の戦後は表面の「平和」言説とは裏腹に、東アジアの厳しい冷戦状況に依拠し、それを利用しながら、戦争・植民地支配責任をあいまいにし、そのことで「経済成長」を遂げてきたプロセスであった。とくに在日朝鮮人にとって戦前と戦後において植民地主義的な関係はまったく一貫しているのであって、東アジア地域における植民地主義と冷戦・分断の矛盾の集約した存在という自己の位置は、何ら変わっていないのである。さまざまなアイデンティティの相違を抱えつつ、脱植民地主義・脱分断という共通の目標に向かおうとするうえで、民族主義、抵抗ナショナリズムは依然として、そうした多様な人々の包括を象徴する集合名詞として生き続けているのである。(康成銀、朝鮮大学校教授)

[朝鮮新報 2008.12.5]