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〈本の紹介〉 だれにも故郷はあるものだ

「逃げない、尊厳ある人に」

 本書は月刊「イオ」(朝鮮新報社刊)に連載された徐勝氏によるエッセー「在日同胞とわたし」をまとめたもの。

 連載中から読者の大きな反響を呼んでいたと聞いたが、上梓された一冊を読むと、その重量感に改めて圧倒される思いがする。

 ここで、何度も繰り返されるキーワードは、「在日朝鮮人」とは何か、という問いである。

 日本が近代化を成し遂げる過程で、朝鮮に侵略の食指を伸ばし、19世紀の末期以来、20世紀の半ば頃まで、アジアにおけるただ一つの圧迫国、帝国主義国として、朝鮮・中国をはじめ他民族を抑圧し続けた日本。他民族を圧迫し、侵略することについて、侵略を侵略とも思わぬ不感症を、日本人は身につけてきたのだ。それは、先ごろ「日本が侵略国家というのはぬれぎぬ」と過去の戦争を正当化した田母神航空幕僚長や93年の国会での「(太平洋戦争は)日本がついにはめこまれた戦争である。戦争に引きずり込まれたのは日本だった」(自民党・江藤隆美議員)という数知れない妄言を見るまでもなく、敗戦後も日本人のなかに広く刷り込まれてきた。

 朝鮮を劣等視し、朝鮮人を見下す機運は、90年代に激しくなった朝鮮バッシング、9.17以降の感情的、情緒的な「北朝鮮暗黒帝国物語」の垂れ流しによってよりいっそう堅固なものになっていったのだ。

 そうしたなかで「朝鮮」は人目をはばかる隠微な言葉になり、「韓国」「コリア」「在日」などという言葉が幅をきかしはじめた、と分析し、「朝鮮」という言葉に対する抑圧とタブーは、植民意識、反共・分断意識と支配の論理の発露である、と指摘する著者。

 1世の故郷の記憶も薄れ、2世の祖国への失意をへて、故郷や祖国に無関心な3、4世の登場。より安楽な生活を求めて、朝鮮に背を向け、在日を志向するのは「人情の常」かもしれない。

 だが、ここで著者は「逃げてはいけない」と呼びかける。「堂々とその運命を正面から引き受けるのが、尊厳ある人というものだ」と述べ、「私たち民族はかつて亡国の悲哀を味わった。今も、祖国・民族の運命と海外同胞の運命は強くつながっている」と力説してやまないのだ。

 苦難の道を歩み、大きな犠牲を払って一歩ずつ前進してきた朝鮮民族の未来に向けて、「在日」よりも「朝鮮人」に軸足を置く在日朝鮮人でありたいと胸を張るのである。世の不条理に負けず、朝鮮人として、人間としてまっとうに生きることの大切さが心に響く。(徐勝著、社会評論社、1600円+税、TEL 03・3814・3861)(朴日粉記者)

[朝鮮新報 2008.12.5]