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〈朝鮮史から民族を考える 30〉 在日同胞と民族

6.15と10.4の道こそ

「分断体制」論

 白楽晴の「分断体制」論が注目されている。彼は80年代末に朝鮮半島統一論としての「分断体制」の概念を提起し、その後それをさらに深め、その成果は分断体制論3部作ともいえる3冊の単行本にまとめあげられた。白楽晴は2005年に結成された6.15南北共同宣言実践民族共同委員会・南側委員会の代表に推され、その実践を通じて彼の朝鮮半島統一論は、現実的で幅の広い思索として深められていると考えることができる。しかし、「分断体制」論の中で南北両当局者を敵対的共生関係・体制と見ている点は、分断の形成と持続におけるアメリカの規定力を過小評価することにつながる恐れがあると思う。ひいては、とくに一部の識者が「分断体制」という言葉を在日同胞社会にそのまま当てはめているが、これは適切ではないだろう。在日同胞社会は朝鮮半島本国とは違い、物理的に分断されているわけでもないし、総連と民団の両団体が敵対的共生関係にあるわけでもないのである。

在日同胞社会の分断状況とその克服

「総連、民団5.17共同声明」の署名

 在日同胞社会の分断状況を考えるとき、南北当局の意を体した民団と総連の対立と捉える向きがあるが、そのような枠組みは同胞社会の実態に即した見方ではない。両団体の表面的な対立とは別に、下部組織では常に交流があり、同胞の日常生活の場ではさまざまな国籍や団体所属の人々が入り混じっているのが実態である。

 解放後、朝聯は社会主義者や左派民族主義者がイニシアティブをとって、本国の大衆的な建国運動に直接かかわりながら、同胞大衆に圧倒的な影響力を及ぼしていた。一方、民団は朝聯に反対する者や親日派の人々によって組織されるが、初期民団の一番活発な人たちは建青に属したグループであり、思想的には右派民族主義に近かったと思える。両団体は表面的には対立しあっているようにみえながらその反面、民族主義、脱植民地主義という点で相通ずる感覚があった。

 48年に朝鮮半島の南北に政権が発足すると、両団体はそれぞれの政権と関係を深めていく。朝聯は公然と朝鮮を支持し、朝鮮と直結しようとする動きを強めていく。一方の民団はというと、李承晩政権がGHQの肝いりで、「駐日韓国代表部」を通じて民団をその統率下に置こうとしたため、建青の中心メンバーのほとんどは、民団から抜け出した。

 55年に結成した総連は、その綱領で「朝鮮民主主義人民共和国の海外公民」という視点を明確にして、祖国統一実現を最優先事業と位置づけ、一貫して民団とその傘下の同胞との民族的団結の強化に深い関心を払ってきた。民団は朴正煕政権の登場により体制派と非体制派(民主派グループ・韓学同・韓青)に分かれ、非主流派は民団民主化闘争、「韓日条約」反対闘争を展開していき、72年に「7.4南北共同声明」が発表されたとき、これをいち早く支持して、総連との共同大会開催において民団側で重要な役割を果たした。彼らは「維新クーデター」後、民団体制派が組織から民主派グループを一掃しようとしたため、73年に南朝鮮社会の民主化と祖国の統一をめざす韓民統(現在の韓統連)を結成した。

 70年代以後の多文化共生社会論や運動において、在日朝鮮人社会を「祖国志向」「在日志向」という単純な二分法で見る論理が顕著になる。しかし、同時期に在日の若い同胞青年たちが南に行き、民主化運動や祖国統一運動に参与した行動を、「祖国志向」だというふうにレッテルを貼ることは間違っている。彼らの経験は、二つの志向は別個の問題ではなく、実は互いに複雑に絡み合っていることを示している。

5.17共同声明

 2006年5月に総連と民団の両代表が会談を行い、「5.17共同声明」を発表した。共同声明では、6.15南北共同宣言の理念にしたがい、半世紀以上に及ぶ対立の歴史に終止符を打つ姿勢を鮮明にした。とくに、民団は「6.15民族統一大祝典に日本地域委員会代表団のメンバーとして参加することにした」という第2項目は、統一運動に合流する具体的な行動を示したものとして特筆される。

 しかし、駐日米国大使館と日本の公安警察による露骨な干渉と圧力によって、民団内部は紛糾し、ついに、共同声明の「白紙撤回」言明と執行部の退陣という事態が引き起こされるにいたった。新しく発足した執行部は「すでに無効になった」と強弁しているが、一方の当事者である総連の意向を一切無視した無責任さは、社会通念上、通用する道理がない。共同声明は決して、両団体間の約束にとどまるものではなく、それゆえこうした行為は同胞大衆の意向を無視している。民団中央は、在日同胞社会における「代表性」を自ら放棄したといえる。しかし、6.15南北共同宣言と10.4宣言が示した道が逆行できない流れである以上、両団体の和解が早晩、再び進むことは間違いないであろう。

 従来の祖国統一と海外同胞の問題に関する言説には、朝鮮半島中心主義≠フ傾向が多分にあったことは否めない。

 しかし、朝鮮の統一問題と、海外における自身の生活上の問題が、いかに関連しているのかという認識と実感が必要となる。6.15北南共同宣言に示された斬新的統一論は、北南の当局・民間とともに海外同胞も参与する道を切り開いた。そして、これを受け、海外同胞の諸団体は世界的な連帯に取り組んでいくようになった。

 居住地や国籍も多様な海外同胞がネットワークを構築し、主体的に統一運動に参与する過程を通じて構成される国家は、おそらく従来の「国民国家」では推し測れない形と内容を伴うだろう。(康成銀、朝鮮大学校教授、終わり)

[朝鮮新報 2008.12.8]