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〈朝鮮と日本の詩人-74-〉 井之川巨

美しい叙情的抵抗詩

 舞い、舞う/朝鮮の少女たちは/回転する五月の花壇だ。
 ひとりの少女は/銃殺された農夫を舞い、
 ひとりの少女は/たたずみ悲しむ妻を舞い、
 ひとりの少女は/廃墟をさまよう子供を舞い、
 ひとりの少女は/つかれはてた老婆のしぐさを舞った。
 −そして、やがて/白頭山にコップニがうまれ、
 やがて/ジュニアはくすんだ火縄銃をみがき、
 北緯三八度より北方に/朝鮮人民は解放の銃声をはなった。
 ああ、おれは共に/麗水の銃をもたなかったことを惜しむ。
 かつて日帝におかされ/いままた米帝にふみつけられ/抵抗いがいの血をもたぬ朝鮮の少女たち。
 おれは彼女たちを見るのがすきだ。/おれは真黒いひとみと/とき色にひやけした彼女たちを見るのがすきだ。
 舞い、舞う/朝鮮の少女たちは/回転する五月の花壇だ。

 「朝鮮の少女たち」の全文である。発表されたのは1953年で、朝鮮戦争の停戦会談が開かれている時期にガリ版刷りの詩集「のらいぬ」に収められた。少女の舞いを「回転する五月の花壇」と美しく抽象化しながらも、その舞踊のテーマが朝鮮戦争であることを第2連から第5連までで表している。第6連の「白頭山に−」の1行は趙基天の叙事詩「白頭山」を、第7連の「ジュニアは−」の1行は許南麒の叙事詩「火縄銃のうた」を指しており、この2連によって詩人は朝鮮民族の解放闘争への支持を表した。詩人は共和国の創建を祝い、済州島への出動を拒んだ麗水の軍人暴動への熱い連帯感をアピールし、米国帝国主義を告発した。この詩は重いテーマでありながらも、第1連と最終連とのリフレインによって、叙情的抵抗詩としてのおもむきをなしている。

 井之川巨は1933年に生まれ、夜間高校で学びながら詩を書き始め、壺井繁治に見出された。詩誌「列島」に作品を発表し、井上光晴・玉井五一らと季刊「原詩人」を創刊して民主的文化運動にたずさわり、詩・評論・ルポルタージュを書いた。「詩があった!」(05年、一葉社刊)に業績がまとめられており、この詩も本書によった。(卞宰洙・文芸評論家)

[朝鮮新報 2008.12.8]