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若きアーティストたち(61)

美容師 高卓玄さん

 東京・明治神宮前駅から南に3分ほど歩いたビルの2階に、ヘアサロン「Lani HAIR ohana 原宿店」はある。ガラス張りの店内は開放感があり、どこか心落ち着く癒しの空間。ここで店長を務めるのが高さんだ。月に指名客150余人を抱えながら、フロアを見渡し、人事、経理、教育…店の全体を動かす。

 初級部から高級部までサッカーに情熱を傾けた。高級部では部のキャプテンを務め、プロサッカー選手を目指していたほどだ。しかし、プロへの道程は遠く、自身の実力を前に諦めざるをえなかった。

 「サッカーしかやってこなかったから、ほかに何も残っていなかった。その時、何か手に職をつけようと思った」と、卒業を控えた当時を述懐する。

 パチンコの釘師、調理師、整体師…分厚い専門誌を広げて職を探すなか、とりわけ関心を引いたのが美容師だった。それからアシスタントとして美容室で働きながら、専門学校で通信のレッスンを受けた。

 「かっこいい仕事をしよう」と、半ばノリで美容師を志したが、やればやるほど、どんどんのめり込んでいった。

 当初は下町の美容室で精を出すも、どこか物足りなさを感じていた。「有名店に入れば、何か変わるかな」−そんな希望を胸に、求職倍率の高い有名店に一か八かでチャレンジしてみたが、門前払い。それでもめげず「全身で気持ちを伝えれば、絶対に入れる!」と信じ、毎夜店を訪れた。店前を掃除し、話だけでも聞いてもらえるよう交渉を繰り返した。

カットの腕だけでなく、その笑顔と人柄で多くの客を惹きつける

 やがて高さんの熱意に負けた店長が話を聞き入れてくれ、アシスタントとして働き始めることになった。

 他店で経験を積んできたが、シャンプーや掃除などすべて一から再スタートだった。朝から晩までバックルームに下がることができず、ポケットにビスケットを忍ばせトイレに入り、トイレの水と一緒にどうにか腹ごしらえをした時期もあった。営業終了後は、毎日残って練習をした。不器用だった分、技術は練習で補った。上司に帰るよう促されても、いったん店を出て、また店に戻り練習を続けた。気づけば3カ月で体重が8キロも落ちていた。

 そんな厳しい環境に耐え切れず辞めていく仲間もいたが、「サッカー部の訓練で鍛えられたから、どんなつらさも乗越えられた。何よりもここまで育ててくれ、いつも応援してくれるオモニを思うと断念して帰るわけにはいかなかった」と胸の内を語る。

 その後、数店で経験を積みながらひたむきに努力を重ね、今年7月、同店の店長に。

 「ここまでがんばってこれたのも、支えてくれた同胞たちのおかげ」

 高さんは現在、「在日同胞30%OFF」を実施中だ。アシスタントの頃は、モデルを探すのにも一苦労。そんな時、同級生のみならず多くの同胞がその役を買って出てくれたという。「その頃の土台があるから、今ハサミを握れる。少しでも恩返しできれば」と地域や寄宿舎のあるウリハッキョで奉仕もしたいと考えている。

 「絶対にかわいくする!」。これは、高さんが常に心に留めていること。仕上げた後に鏡を見た客が笑顔になる、人が幸せになる瞬間に立ち会えた時が、高さんにとっては幸せなひとときだという。

 この業界に入り8年。当面の目標は、店を大きくすること。これからは「有名店から自分の名を広めるのではなく、自分の名を広めて、店を有名にする」と意気軒こうだ。

 いずれは世界一の美容師に―カットのスペシャリストではなく、多くの人に支持される美容師になりたいと希望に胸を膨らませる。(文=姜裕香、写真=盧琴順記者)

※1981年生まれ。埼玉朝鮮初中級学校、東京朝鮮中高級学校卒業。ヘアサロンでアシスタントとして働きながら、東萌ビューティーカレッジ通信制美容科3年制を修了。「ZACC」や「reve」など数店のヘアサロンで経験を積む。現在、東京・明治神宮前にある「Lani HAIR ohana 原宿店」の店長を務める。

[朝鮮新報 2008.12.17]