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〈本の紹介〉 詩集 鳳仙花

激烈な怒りと深淵な同情

 この詩集の著者鈴木文子は、私鉄労働者として働きながら詩作に情熱を傾け、全部で6冊の詩集を印行した、詩想豊かな労働者詩人である。

 本書は1998年に上梓された第四詩集なのだが、10年前の詩集を今になって書評の一冊に選んだのには、それだけの訳がある。彼女の最新の詩集「電車道」(08年11月・コールサック社刊)を出版社から贈呈されて、社会性をリリシズムで包摂した作品群に魅せられ、感想を書き送ったところ、この詩集を寄贈された。内容は、労働者としてまっすぐに生きた詩人の母への思慕と家族愛をうたった第1部(8編)と歴史に埋れた人間の真実を甦らせた第2部(8編)、それに反戦平和のモチーフに貫かれた第3部(8編)から成っている。いずれの作品も労働者的感覚と今日的問題意識が鮮明な佳品であるが、評者がとくに心を打たれて、この拙文を書く動機となったのは、第3部に収められている「鳳仙花」と「国の華」の2編が、「従軍慰安婦」をテーマにした作品だったからである。

 植民地の娘は/紅い鳳仙花を摘み/ミョウバンといっしょに軽く搗き/爪先にのせ 布を巻き 糸でしばり/七夜寝ると/娘の爪は花びらになる/婚約者が町から帰る日/赤いチマ 緑のチョゴリで/駅に向かったきり 娘は帰らなかった

 庭の片隅で鳳仙花の種が熟れている/ゆび先を近づけると「私に触れないで!」/音をたてて飛び散った種に打たれ/思わずひこめてしまった/つかまえられ/皇軍のなぐさみものにされた娘たちの叫びを花言葉にして/日本の土で咲いている 鳳仙花

 全47行5連の「鳳仙花」のうちの第3連と第5連の全文である。1920年に発表されて一世を風靡したわが国の歌謡「鳳仙花」は、歌詞に込められた反日精神の故に日帝が禁止した名曲であり、鳳仙花は朝鮮人民にあっては抵抗の魂を暗示する花である。詩句「娘は帰らなかった」には悲愁と怒りが、「私に触れないで!」には逆境の中でも清純で毅然たる朝鮮の女性の誇りが秘められている。

 皇軍の女狩りに捕ったのは三カ月前/酒をあおり タバコをふかし/兵隊を慰安しながら/故郷の木槿花を思っている/半島に咲いた落花の音を聞いている/大切なものは何もなくなってしまった/知らない土に/しぼんで転がっているのは/三カ月を一日で生きた 朝鮮の娘

 肌を裂かれる苦痛の日々を、無理強されて覚えた飲酒と喫煙で癒さねばならない悲惨と、朝鮮女性の精神の気高さを醸しだす木槿花の香気を対比させながら、詩人は激烈な怒りと深淵のような同情を、抑えのリズムで紡ぎだしている。その憤怒は「慰安しながら」というアイロニーに擬縮されており、軍令で「慰安婦」を囲う下卑で淫虐な「皇軍=日帝」を断罪している。

 静謐さと残酷さを綯い交ぜた詩的構成と、比喩と象徴の巧みさで効果的な右の2編の詩は、「慰安婦」問題にアプローチするに当っては、必読の問題作だといっても過言ではない。(鈴木文子著、詩人会議出版、1500円、TEL 03・3363・8755)(辛英尚・文芸評論家)

[朝鮮新報 2008.12.19]