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大分国体 大阪朝高ボクシング部 尹成得選手が初制覇

朴忠南選手、成年男子で優勝

 大阪朝鮮高級学校ボクシング部の尹成得選手(高3)が2007年の全国高等学校総合体育大会(インターハイ)以来、2度目の全国制覇を果たした。大分県立津久見高等学校体育館で9月28日から10月2日にかけて行われた第63回国民体育大会(国体)のボクシング競技ミドル級(少年男子)に大阪府代表として出場した尹選手は、決勝で静岡県代表の岡田良綱選手に10−6の判定で勝った。日本体育協会国体委員会が朝鮮学校生徒など在日外国人の参加を2005年3月に認め、ボクシングなどの競技に朝高生が参加するようになった2006年大会以降、全国制覇した朝高生は尹選手が初めて。また、朴忠南選手(同志社大4回生)も成年男子ミドル級で優勝した。

初戦で勢いつける

初の国体制覇を成し遂げた尹成得選手

 防御が苦手でまぶたがすぐに切れる尹成得選手は、ディフェンスを意識した練習を積んできた。

 「もう一度優勝したい」

 2007年に初出場したインターハイ以来、2度目の全国優勝を目指し参加した。初戦の相手は2007年インターハイ決勝で戦った岡山県代表選手。最近の連敗が影響し、「負けるイメージ」をどうしても拭えなかった。

 また、選抜大会にはミドル級がなく、今年のインターハイ予選でも負け、久しぶりの大舞台であるという不安もあった。しかし3Rで手数を多く出せたことで、それまでの不安が「勝つイメージ」に変わり、すぐに「優勝のイメージ」ができあがっていた。

 波に乗った尹選手は準々決勝(2戦目)、準決勝の2試合をいずれも1RでのRSCで勝利した。

 決勝戦の静岡県代表選手は、尹選手よりも10センチほど身長が高いため、抱え込まれるなど苦戦を強いられたが、最終ラウンド(3R)で得意の左ストレートを決めた。判定にもつれこみ手があがったときは、「インターハイの優勝は格別だけど、国体の優勝もうれしい」と、表情を崩した。

 先輩に誘われ入部した大阪朝高ボクシング部で、礼節を身につけたという尹選手。「ボクシングは一生できないけど、礼節は一生必要なもの。大切な3年間を過ごした」と振り返る。その一方で、いつか朝鮮代表として五輪に出てみたいと大きな夢を語ってくれた。

6人の選手が活躍

圧倒的な強さを見せた朴忠南選手

 大会には、尹選手を含め6人の同胞選手が出場。大阪朝高の劉明剛選手(高3、ウェルター級)も堂々の3位入賞を果たした。

 準決勝では優勝した選手(今回で全国大会5冠)を相手に奮闘。初めて全国ベスト8の壁を乗り越えられた要因として、夏の強化訓練で得たものを発揮できたことをあげた。「自分のボクシングができた」と話す劉選手は、「努力した分だけ自分に返ってくるボクシング」の魅力を再確認していた。

 神戸朝鮮高級学校の李俊憲選手(高2、フェザー級)は惜しくも初戦で敗退した。

 成年男子に出場した大阪朝高ボクシング部出身の朴善暉選手(近畿大3年、ミドル級)は初戦で負けベスト8。

 2試合で勝利を収めベスト8となった朝鮮大学校の金在鴻選手(体育学部2年、ライトウェルター級)は、「会場で高級部時代の監督である梁学哲先生がミットを持ってくれたおかげで、失いかけていた自信を取り戻すことができた。今後かならず全国制覇を成し遂げ、朝大ボクシング部の意地を示したい」と語った。

 また、大阪朝高ボクシング部出身の朴忠南選手(同志社大4回生)は、鋭いジャブと左ストレートのカウンターで他選手を寄せ付けず、成年男子ミドル級で優勝。「洪昌守選手に憧れてボクシングを始め、在日同胞に勇気を与えることができたと自負している。大分の同胞、大分に来てくれた同胞、日本の人々にも感謝したい。朝高時代の梁学哲監督に教わった、相手の立場に立つという考えを今後も自分の生活に生かしていきたい」と話していた。

連盟関係者が感謝

応援してくれた同胞、関係者たちと

 一方、大会には総連大分県本部の梁文植委員長をはじめとする県下同胞らが応援に駆けつけ6人の選手に熱いエールを送った。

 また、大阪府アマチュアボクシング連盟の境良蔵会長は7日、大阪朝高に祝辞を送り、2選手の活躍は、本人たちの努力はもちろん、宋世博監督(26)をはじめとする関係者の努力の賜物だと指摘。「当連盟に所属する他の高校の選手たちにとっていい目標、いい励みになったことと推察いたします。これからも伝統ある貴校ボクシング部員として、ますますご活躍、ご発展されんことを祈念致します」と述べた。

 少年男子大阪府代表監督として参加した宋世博監督は、「民族教育の優位性を示すことができた。声援してくれた大分県の同胞に感謝したい」と締めくくった。(李東浩記者)

[朝鮮新報 2008.10.8]