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〈全国高校ラグビー大阪府予選決勝〉 大阪朝高 常翔啓光学園に惜敗

「良い試合をしてくれた」

 第88回全国高等学校ラグビーフットボール大会出場を賭けた大阪府予選第1地区決勝に進んだ大阪朝鮮高級学校(以下、大阪朝高)ラグビー部は9日、東大阪市の近鉄花園ラグビー場で今春の全国高校選抜を制した強豪校、常翔啓光学園(以下、常翔学園)と対戦し14−38で敗れ、「本舞台」へのキップを目前で逃した。2年連続、4度目の全国大会出場をめざす大阪朝高を応援しようと、会場には大阪府をはじめ近畿各地から同胞、朝鮮学校生徒ら約800人が駆けつけ、大阪朝高ラグビー部オリジナルの応援旗を片手に始終熱い声援を送った。

ディフェンスをかわして突進する大阪朝高選手

 11時、大阪朝高のキックオフで前半がスタートした。

 開始直後から大阪朝高はボールを動かし先制トライを狙い仕掛けるも4分、常翔学園にゴール前に攻め込まれ先制トライを許し、ゴールも決められ7−0でリードされた。

 その4分後、ナンバーエイトの梁哲盛選手が集団の中から押し込んでトライ、ゴールも成功させ同点に追いついた。

 しかし11分、50メートルの独走を許し得点を追加され、14分には、ゴール前、密集の中からボールを押し込まれトライを許し前半が終了した。

 7−24で迎えた後半、スタンドから鳴り響く応援歌を励みに何とか流れを変えたい大阪朝高だが、7分、ハーフラインからディフェンスの隙間をつかれ50メートル独走を許して追加点を取られた。

 大阪朝高は、何度も相手陣内に攻め入るも常翔学園の厚いディフェンスラインを崩せずにいたが、18分、唯一の1年生の権裕人選手が22メートルラインから突進しトライ、ゴールも成功させ点差を縮めた。

 しかし23分、再度、常翔学園にラインアウトからのボールを取られトライとゴールを許した。

 大阪朝高は、その後もキック攻撃などで相手陣内に攻め込むが、常翔学園の厚い壁を崩せずノーサイドのホイッスルが鳴り、14−38で敗れた。

 大阪朝高は、9月14日から始まった予選第一回戦で初芝富田林高に104−0で圧勝。続く農芸・泉北・河南・堺工科高の合同チームには107−3、3回戦も天王寺高に81−0など圧倒的な強さを見せ付け決勝までこまを進めた。

悔しさをバネに

ノーサイドほホイッスル。2年連続の花園への出場は叶わなかった。

 大阪朝高の呉英吉監督(40)は「前半、ゴール前のトライを簡単に許してしまったのが痛かった。選手たちは、練習してきたことをそのまま実践し、良い試合をしてくれた。勝てなかったのは自分の指導に責任がある」と語った。また、「選手たちは、自分たちで考え判断して攻撃をしかけていた。相手チームの弱点を突くなど強いチームだ」と振り返った。

 金志龍主将は「みんなと一緒にまだまだ戦い続けたかった。積み重ねて来たものを全部出しきれなかったのが悔しい」と涙をぬぐった。

 そして「今年の全国大会は逃したが、大阪朝高ラグビー部としてはまだ続きがある。来年の春の大会を制し、また全国大会のキップを掴めるよう後輩たちをサポートしていきたい。後輩たちには今日の悔しさをバネに、またこの場所に戻ってきて来年は必ず全国の舞台で戦って欲しい」と語った。

 2年生の朴鐘圭選手は「今年の目標は、常翔学園を含む強豪校に勝ち全国へ進むことだった。2年生として60分間、試合に臨んだが勝利に貢献することが出来なくて悔しい。来年の全国大会出場を目指してより一層練習に励みたい」と決意を新たにしていた。

準優勝に誇り

 金主将の両親、金永柱(45)、朴栄恵(44)さん夫妻は「自分たちの学生時代には叶わなかった舞台で、一生懸命に走り輝く姿を見ることができて感無量だ。全国へは進めなかったが、府で2位の成績はとても立派で誇りに思う」と強調した。

 また「ベンチに入れる選手は25人。その内3年生は22人。3年生は1、2年生に負けぬよう、本当に毎日厳しい練習に取り組み個人ではなくチームとして力を高めていった。結果、3年生全員が試合に臨めた。その過程でとても大切なものを得たはず」と語った。

 右フランカー、金宏昭選手のオモニ・洪恵子さん(51)は「壁は厚かったが、みんなが一つになり良い試合を見せてくれた。本当によく頑張った」と振り返った。

 洪さんはまた「夏の在日朝鮮学生中央大会時、他校のチームの父母たちと交流しながら、大阪にはラグビーの伝統があり、環境も他県より恵まれていることに気づかされた。大阪朝高は大阪府を代表するだけではなく、全国の朝鮮学校をも代表していることを胸に刻んだ。そうしたチームとして誇りを持ち、これからも一層名を馳せていって欲しい」と語った。

 金淳附Z長は「共和国創建60周年を迎えた意義深い今年、生徒たちはラグビーによってもっと輝かせようと闘志を燃やしていた。全国へは進めなかったが、この大阪府で準優勝という栄誉を手にしてくれた。全国の朝鮮学校生徒たち、同胞たちにとても嬉しいプレゼントをくれた」と労をねぎらった。(文と写真−盧琴順記者)

[朝鮮新報 2008.11.19]