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春・夏・秋・冬

 右翼など一部の勢力が騒ぐから関わりたくない−こういった市民の権利を自ら葬り去る風潮がいつからこの国に定着し始めたのか

▼これまでの金剛山歌劇団公演や総連の集会、そして日教組に代表される労働組合、加えて今回はドキュメンタリー映画(「靖国」)の会場が上映を中止、辞退する体たらくである。裁判所が使用不許可は憲法違反であると指弾しても、同様の行為は後を絶たない。戦前回帰を容認する自殺行為に等しい

▼こうした風潮の根が、侵略から敗戦に至る過程に対する明確な清算が伴っていない点にある事は多々、指摘されて来た。証言引用に定評のある米国の歴史学者(例えばA・サッチャー)らは、我田引水的な日本の学者、研究者の見解とはまったく別の日本観を展開し、その事を示唆してやまない

▼13日に期限を迎える対朝鮮「制裁」に対して、町村官房長官や高村外相らはすでに「拉致問題の解決や核計画の申告に前向きな反応がない」などを理由にして再延長を口にし始めている。そもそもこの不当な「制裁」、日本政府発表にあるように拉致問題とはいっさい関係がない。さらに核問題について言うなら、6者会談の構成国でありながら日本は何ら肯定的な役割も果たしてこなかったし、義務の放棄によって逆に進展にブレーキをかけてきた。そんな不誠実な対応を棚に上げて延長を口にするとは、まさに思考停止、死に体である

▼日本社会に民族排外主義をのさばらせ、人権感覚を麻痺させ、政治の道具にされているこの不当な制裁の、これ以上の継続を許してはならない。(彦)

[朝鮮新報 2008.4.4]