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春・夏・秋・冬

 李明博政権は金大中、盧武鉉大統領と2期に渡った時代を「失われた10年」だと表現、中傷して「わが民族同士」理念を築いた6.15共同宣言、そして10.4宣言の棚上げ、白紙化に一貫して熱を上げている

▼南朝鮮で、その10年間を過ごしたある人が率直に以下のような感想を口にする。「『失われた』と人事のように表現するのではなく、誰にとって『失われた』年月だったのか、主語を明確にすべきだ」と

▼彼に言わせると、「失われた」と表現するのはハンナラ党をはじめとする米国に追従する保守勢力だけであって、「進歩勢力にとっては金泳三まで続いた軍事・文民独裁政権と決別しその残滓を清算するための、南朝鮮社会の民主化の土台を整え強固にするための意義深い10年だった」と指摘する

▼例えば、市民たちがホッと胸を撫で下ろしている大きな事実のひとつとして情報機関の清算、国家情報院の変化を上げる。「金大中政権以降、諜報・拷問・連共摘発のゴロツキたちが表舞台から姿を消していった」と語る。完全とは言えないまでも、恐怖の根源が取り除かれていったのだから、精神的には大きな違いだ。「自由に物を言い安心して住める時代になった」

▼李政権が「失われた」というのは、まさにこの人が指摘するような金大中政権以前の状況を指すのであって、言い換えれば恐怖政治の復活、再生を目論んでいるのだと理解するほかはない。それが証拠に10年の間、日本国内に避難してきていたかつての時代の手先たちが、元気を取り戻し活発に蠢き始めている。(哲)

[朝鮮新報 2008.10.27]