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「4.3事件」60周年−力合わせて祖国統一へ

 朝鮮現代史の中でも最も凄惨な事件として知られる済州4.3事件。米軍の指揮の下、軍警、西北青年団などによる残忍な焦土化作戦によって、3万人以上の島民が虐殺されたが、軍政下の南では長い間タブーとして、封印されてきた。

 今年はその発生から60年。本紙の連載「生涯現役」に紹介した大阪府在住の高蘭姫さん(78)も、特別な感慨を抱いて、現地の慰霊祭に出席した。

 高さんが祖国解放を迎えたのは15歳のときだった。しかし、喜びはつかの間、民族分断を目論む一派によって島の悲劇の幕があがった。

 高さんの家族も例外ではなかった。民族主義者でもあった父はパルチザン活動に協力したが、密告によって捕まり、拷問のすえ銃殺された。「家族に知らせが来たのは、死後1カ月が経ってから。母が遺体を引き取りにいくと、すでに朽ち果てて…」。父は砂場に自ら穴を掘らされ、そこで殺された後、遺体を放置されたという。夫の家族も3人が虐殺されたが、まだ13歳だった義弟は生きたまま井戸に放り込まれ、埋められた。高さんの友人の少女も見せしめのため、市庁の前ではりつけの刑を受け、虐殺された。

 その惨劇の重い記憶を胸に刻んで生きた60年。肉親すべてを失った悲しみを酒で紛らわせていた夫もすでにない。犠牲になった家族、親せき、知人、あらゆる人々の無念の思いを背負って生きてきた高さんは、「みなで力を合わせて祖国の統一を実現することこそ、彼らの恨を晴らすただ一つの道」だと語る。歴史の歯車を逆行させようとする李明博政権を断じて許してはならないと語気を強めた。(粉)

[朝鮮新報 2008.4.25]