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ボジャギへの思い

 二人の息子の学費を稼ぐために髪を振り乱して必死で働いていた頃、友人から「こんな展示会あるんだけど…」と誘われ、たまには私も一息したいと思って一緒に出かけた。たしか5月だった。

 入口に一枚かかっていたポジャギが風に吹かれそよそよとやさしく、ようこそ、と言っているかのように私の心と体を招き入れてくれた。古い民家のような展示スペースに飾られた個性豊かなポジャギがそれぞれ「私を見て」と言わんばかりに主張していたが、それでいて、それぞれがほかのポジャギを認め、全体の雰囲気を和らげていて、訪れる人の心を癒してくれているような感じだった。

 幼い頃から編物や縫物が好きだった私は一目で心を奪われ、「私がしないで誰がするの」、という思いで、その教室の島崎昭子先生に「ぜひ教えてください」とお願いした。「生徒がいっぱいでね…」とやんわり断ろうとする先生に「そこをぜひ…」と食い下がった。すると先生は「仕方ないね、それなら」という感じで受け入れてくれた。それから6年。展示会に誘ってくれた友人、ポジャギと出会えたことを本当に感謝している。

 日本に生れ育ったことで、日本や世界の手芸に触れようと思えば難しいことではない。ところが、昔から朝鮮の女性が生活の知恵として余り布を使っていろんな工夫を施して生まれたポジャギをこの年(中年です…)になるまで知らなかった事が悔しくて、悲しくて…、私がもし祖国で生まれていれば自然にポジャギと出会えたはず。私にとってポジャギは単に手芸の一種類ということではないようだ。(辛錦玉、主婦)

[朝鮮新報 2008.1.16]