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作って食べよう

 「食」という言葉から浮かぶ発想は今、「安全性」がダントツかと思う。

 ここ数カ月、食材や加工食品の生産、流通に関する情報が世をにぎわしている。偽装食品があふれ、「○○産の食材は危ない」などの言説が流布されている。

 最近私は、簡単なケータリングを始めたこともあり、食材選びのためさまざまな生鮮食品にお目にかかる事が多い。

 そんなある日。とあるスーパーのレジに並んでいたところ、冷凍加工食品をカートいっぱいに詰め込んだ親子を見かけた。奇麗な容姿に全身ブランド品で決めた母親。それに続く娘。冷凍加工食品を食べるということが悪いのではない。しかし、冷凍加工食品だらけで、料理を全くしないのは少々心配だ。

 私が「食」に抱く思いは「家」。幼い頃から両親は仕事で家を空けることが多かった。私は物心ついた頃から台所に立っていた。母や叔母が作った料理を温めたり、一緒に祭祀の料理を作ったり。「食べるためには、自分の手を使うことが必要」ということが当たり前のように体に摺り込まれていった。幼い頃から「ウリオンマ」(私の母親)の家庭料理を食べて育ったおかげか、体は丈夫。おいしいものは人それぞれ違うけど、手を使い、食材とゆっくり向き合いながら、自分の思いを料理に託す、そんなゆっくりした時間が、もっと今の社会に必要な気がする。化学薬品は一番の毒だが、想いが備わらない料理もいかがなものか。だから、今言いたいこと。「作って食べよう」。(高基純、臨床検査技師、フードコーディネーター)

[朝鮮新報 2008.3.14]