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半分

 職場は年度毎の区切りが大きな節目となる。2学期の中間試験の終わる10月後半のこの時期に、1年の半分が過ぎたこと意識する。年末へ向けて慌しくなりだす時期だが、私には1年のちょうど折り返し地点だ。

 振り返れば人生も折り返し地点。私にとってのいろんな「半分」を思うと、「ようやく」半分過ぎたというよりも、「もう」半分過ぎてしまったと焦る気持ちが先に立つ。

 「半分」という言葉から、「시작이 반이다(シジャギ パニダ)」ということわざを思い出す。文法書通りに日本語に置き換えれば、「始まりが半分だ」となる。「物事は始めさえすれば半分は成就したも同じだ」という意味だ。

 何か新しいことを始めたり、未知の領域へ一歩踏み出すことには、勇気が必要だ。エネルギーも使う。何気なく始めたことですら、大きな転機となる場合もある。「시작이 반이다」という言葉は、「始める」ことの重要性を私に示してくれた。折にふれてつぶやくような、そんな言葉だ。

 ある決意から、朝鮮史の勉強を始めた。仕事や家事との両立はなかなか大変だ。能力的にも研究論文を書く水準にとどかない。諦めようと思ったことは何度もある。それでも何とか続けてきたのは、私がそれを「始めた」からだ。最初の一歩は踏み出せたのだ。

 「시작이 반이다」。「始め」たら「半分」だ。一歩踏み出せた自分自身を信じてみようと思う。(李千波、私立高校非常勤講師)

[朝鮮新報 2008.11.4]