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歌劇団と歌舞団

 年が明けると、2月の名節に際して行われる平壌公演のために金剛山歌劇団が祖国を訪問した。舞踊手たちは一様に背が高く、端正な顔立ちで、そばで見ているだけでこちらが緊張してくる。

 言わずもがな、歌劇団と歌舞団は代を継いで公演に参加してきた。それを当然のことだと思ってはいけない。ともすれば空気のように、もはや存在自体が当たり前すぎてついつい恩恵を忘れがちだが、陰には言葉に尽くせない苦労がある。民族の調べを絶やすまじと汗を流す努力がある。そのことを忘れてはなるまい。

 夜の帳が降りても平壌ホテルの廊下で舞踊の練習に精を出している。その姿を見ていると、決して楽とはいえない普段の生活を想い、胸が傷む。深夜までアルバイトをしながら生計を立てている団員も少なくない。その時間を自己修練に充てられたなら、どんなによいだろうか。

 練習場所の確保にも四苦八苦している。大阪をはじめ歌舞団すべてに共通する悩みだ。それでも同胞社会に寄与するという一念のもと、厳しい現状にもめげず懸命に励んでいる。その使命感たるや、並みの活動家の比ではない。

 かつてのルネサンスは、貴族というパトロンなしには開花しなかった。芸術が華やぐためには、芸術に没頭できる環境に芸術家を置いてあげねばならない。

 歌舞団のいない同胞結婚式や学校行事は考えられず、同じく歌劇団公演が巡回しない同胞社会もありえない。なんとか歌劇団と歌舞団を在日社会的にもっと支援できる方策はないものか。(健)

[朝鮮新報 2009.2.17]