手遅れかもしれないが |
先日、「日朝関係を考える」と題された講演会に参加する機会があった。「週刊金曜日」と「月刊日本」という水と油のような関係にある両誌の共催だった。両誌は4月にも「初の試み」と銘打って、別のテーマで講演会を開くなど、ある種の共闘関係を形成している。 講演会の内容だが、いくつかの意見を除いては、朝鮮をめぐる言説の退廃ぶりが表れていて嫌悪すら感じた。日本は「帝国主義国家」として朝鮮問題に対処すべきと説き、「体制転換」による国交正常化の可能性を語る佐藤優氏や、陰謀論をまき散らす某「月刊日本」論説委員の議論は聞くにたえなかった。そこには過去の清算や戦後日本の朝鮮半島政策に対する真しな問題意識は見られない。 右翼国家主義者、排外主義者である佐藤氏の発言にいまさら驚きはないが、理解不能なのは、そのような人物に入れ上げる「週刊金曜日」の姿勢だ。近年、佐藤氏は右から左まで多様なメディアに登場し、媒体によって主張を巧妙に使い分けている。「インテリジェンスのプロ」らしい詐術だが、これを同誌が知らないはずはない。 以前、同誌はイスラエル支援企業の製品のボイコットを呼びかけていたが、札つきのイスラエル支持者の文章を大々的に掲載することに良心の痛みを感じないのだろうか。 「左右の壁の突破」という言葉の裏で原則はなし崩しになり、社会の「右旋回」は進む。日本のリベラル・左派勢力は「佐藤優という呪縛」から逃れたほうがいい。もう手遅れかもしれないが。(相) [朝鮮新報 2009.7.21] |