top_rogo.gif (16396 bytes)

〈第8回中央オモニ大会〉 東大会のリレースピーチ(要旨)

 12日、東京・有楽町朝日ホールで開かれた第8回中央オモニ大会(東大会)では、17の地域・団体によるリレートークが行われた。その一部(要旨)を紹介する。

3人の子どもを寄宿舎に入れて 新潟・金玉順さん

 私には中級部1年と初級部6、3年生になる愛する3人の子どもたちがいる。

 子どもたちは新潟朝鮮初中級学校で学び、同校の寄宿舎で生活している。

 全校生18人中、3人がうちの子どもで、寄宿舎生3人もみんなうちの子どもたちだ。

 先生たちの愛情あふれる民族教育の中で、子どもたちはみな勉強も良くでき、朝鮮語も使いこなす。娘は舞踊部に属し、学校生活を本当に楽しく過ごしている。

 「アッパ、オンマが傍にいなくても、私は絶対に日本学校には行かないよ!」という子どもたち。何よりも私たち夫婦が願っている「異郷に可憐に咲く朝鮮のつぼみとしてかわいらしく育っていること」は、このうえない喜びだ。

 しかし、私がこのようにウリハッキョで学ぶ子どもたちを何の心配もなく送るようになるまでには、並々ならぬ自身との闘いがあった。

 7年前、長男が学校に上がるとき、ウリハッキョに送るか、近くの日本学校に送るか、悩みに悩みぬいた。

 入学し2カ月が過ぎたある週末、家に帰ってきた息子が食事の支度をする私にしがみつき、ワンワン泣き始めるではないか!

 「学校はおもしろいけど、オンマ、アッパと離れて暮らすのは嫌だ。他の友だちは家に帰ってオンマたちと暮らしているのに、僕もそうしたい」と、息子はいつまでも私の傍を離れず、泣き続けていた。

 「この子は、今まで私たちに心配をさせまいと耐えてきたんだ。どれだけ淋しかっただろう」。何も言わずに息子を抱く私の目からもとめどなく涙があふれ出た。

 そして、息子を落ち着かせて順々に話した。距離が遠くて家からウリハッキョまで通学できないこと、なぜ遠くにあるウリハッキョで学ばなければならないのか、しっかりとした朝鮮人として育つためにはウリハッキョに通わなければならないこと、学校でオッパ(お兄ちゃん)が一生懸命勉強したら、妹たちの良いお手本になり、妹たちもウリハッキョに行きたいと言うはず…。

 このとき息子に話しながら、強いオモニにならなければと、私自身にも言い聞かせていた。

 固く決心した私だったが、3人の子どもたちがみなウリハッキョに行くことになり、今度は私が子どもたちのいない生活に耐えられなくなった。末娘が入学するとき、子どもたちに日本学校に転入しないかと泣きながら言ってしまったことがあった。すると、「日本学校には絶対に行かない。アッパとオンマがいないのは淋しいけど、それは心配ないよ。寄宿舎の生活は楽しいし、先生も一緒に遊んでくれるから大丈夫だよ」という子どもたち。その言葉に、自身の弱い心を責めるしかなかった。

 しっかりしなきゃ。

 こんなに子どもたちが頼もしく育っているじゃないか!

 うれしくもあり、悲しくもあり…オモニは、子どもたちからたくさんのことを学び成長するというが、まさにその通りだと思った。

 これからも、日本で子どもたちを朝鮮人として育てていく過程で、さまざまな問題が生じるかもしれない。

 けれども、私は子どもたちが大きくなって、なぜアボジとオモニが遠く離れた寄宿舎で生活させながらウリハッキョに送ったのかを、きっとわかってくれると信じている。

10年来の親友みたい 山形・朴錦仙、元貞禧、河寿美さん

 私たち3人は、それぞれ北海道、兵庫、埼玉の出身。山形県の同胞新婚家庭はほとんどが他地方から引っ越してきた者たちだ。同胞数が少なく、みなが遠く離れて暮らしているため、オンマと子どもたちにとってはたまに顔を合わせて食事をし、おしゃべりするのが何よりの楽しみとなっている。

 山形県では同世代の同胞が知り合えば、すぐに10年来の親友のように打ち解けられる。児童教室、ピクニック、フラワー教室、料理教室など、定期的にオンマたちの交流の場も設けている。ここにいる2人のオンマはそのたびに車を1時間半走らせて、もう一人は2時間電車に乗って足を運ぶ。子育てや家庭のことなど何でも話し合えるその時間は本当に楽しいひと時だ。

 ただ、ひとつ残念なのは、山形県にはウリハッキョがないということ。私(河寿美さん)の長男は来年初級部へ入学する。子どもには民族教育を受けさせたいので、春には愛する夫を山形県に残して、息子を連れてシガ(婚家)がある東京に引っ越すことにした。山形には朝鮮学校がないけれど、私たちは子どもたちをチョソンサラムに育てるため一生懸命努力している。みなさん、山形にぜひ遊びに来てください!

学校を拠点に民族の心育てる 福島・゙明美、張倫己さん

 桜が咲く頃、福島・中通地域のオンマと子どもたちが集う「オンマと一緒に」が開かれる。このステキな交流の場は、20年間、世代を継いで続いてきた伝統がある。

 福島では2年前からすべての支部で幼児教室をスタートさせた。講師は朝鮮学校の先生、オモニと朝青活動家がスタッフとして子どもたちの民族の心を育てている。

 今年の福島初中の新入生は私(張倫己さん)の娘一人だった。親の心配をよそに、娘は先生やオンニ、オッパたちと楽しく過ごし、今では習いたてのウリマルで会話もする。

 寄宿舎には7人の子どもたちがいる。子どもたちは「学校は楽しいよ」と笑い、食堂の手伝いも進んでしてくれる。本当に素直で良い子たちだ。

 先輩のオモニたちは生徒数が減ったのをカバーしようと運動会の日は自分の仕事を早く片付けて学校にかけつけてくれる。その姿に、1世、2世の精神を忘れてはいけないし、放棄してもいけないと身を引き締める。これからも、同胞たちの心のよりどころ、子どもたちの心の故郷を守るため、オモニたちと力を合わせてがんばりたい。

子育て家族の親睦会「和」 茨城・徐美香さん

 茨城県に住む学齢前〜低学年までの子どもを持つ在日コリアン保護者たちの親ぼく会「コマの会−和」(2007年5月結成)では、春・秋年2回のイベントを催している。

 親ぼく会が結成された07年春の運動会には、130人ものアッパ、オンマ、子どもたちが参加し大盛況だった。

 今年5月に開かれた5回目のイベントであるバーベキューには、これまでつながりのなかった新メンバーも加わり、同胞同士の絆を深めることができた。

 今後は、この子育て家族の親ぼく会「和」を通した触れ合いの中から、子どもを朝鮮学校へ送る動きが出てくれば良いと願っている。

 「和」では、年2回発行される情報誌を通して、楽しいイベントの内容を伝え、読者たちの好評を得ている。

 運営委員を何組かの夫婦で構成することによって、いろんなイベントの企画とその準備過程で、夫婦同士の仲もより良いものとなっている。

 これからも運営委員を中心に心を合わせ、茨城県のより多くのアッパ、オンマ、子どもたちが参加して楽しめるイベントを企画していきたい。

IT化で活動の幅を広げよう 埼玉・李春桃さん

 アラフォー世代のオンマたちが持つ共通のコンプレックスと言えば、「アナログ世代」ということだ。学生時代に携帯電話、プリクラ、デジカメ、パソコンを触ったことのない私たちは、前回のオモニ大会で大きな刺激を受けて、コンプレックス解消のための「IT革命」に立ち上がった。

 当時、埼玉女性同盟でパソコンを使える人はごくわずか。インターネットを見ることもできず、ブログを知らない人が大多数だった。06年のある日、幼稚園オモニ会の話し合いがきっかけでブログを開設。それは女性同盟埼玉県本部の電子版同胞便り「SAITAMAん家」に発展した。学校オモニ会、幼稚園オモニ会、オリニサークルの通信員らが更新する「SAITAMAん家」は、12日現在、1万8709人の訪問者数と41件のファン(他地域の父母会リンク)を誇るほどになった。

 これを機にオンマたちはいろんなところでネットワークを広げている。少し前までパソコンと言えば「?」だらけだったオモニたちが、今では「時代の孤児」を返上、新世代のオンマたちとも話題を共有できるレベルに成長した。これからも他地域との連携、情報交換を通して、同胞たちとのつながりを広げていきたい。

西大会リレースピーチは国文版

[朝鮮新報 2009.7.24]