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〈万華鏡−8〉 黒人、米国−歴史の忘却とそれへの抵抗

人種差別の歴史

 今年、米国で初のアフリカン・アメリカンの大統領が誕生した。

 公民権運動が巻き起こった1960年代、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が「私には夢がある」という演説で、「奴隷解放宣言」から100年経ってもなお米国の黒人が、自由と平等を理念とする「民主主義」国家で疎外されている現実を訴えてから約半世紀後、アフリカン・アメリカンが大統領に就任したという歴史的意義は大きい。

 しかし一方で、誰もが一生懸命努力すれば成功する可能性があるとする「アメリカン・ドリーム」的な側面ばかりが強調され、過去に白人が行ってきた肝心の残忍な人種差別への歴史認識のほうは覆い隠されてしまっている感がある。

 実際、オバマ大統領自身も就任演説で、「自由」と「米国の信条」を強調することで、南部諸州で長く続いていた「隔離しても平等」という当時の黒人差別構造の暴力的歴史をあいまいにしてしまっている。

 それは、オバマ大統領が奴隷制を経験した先祖を持たないアフリカン・アメリカン(父親がケニア人で、母親が北欧系カンザス人)であり、自ら、人種の「サラダボウル」と例えられる米国社会で、多様な民族集団の文化を認める多文化主義的な面を強調したこととも関連している。

 しかし、現在の米国の「繁栄」は奴隷として搾取された黒人たちの血と汗によって築かれたものであり、裏を返せば、人種差別をすることで現在の「米国」という国は築かれたのである。したがって、米国の歴史は人種差別の歴史そのものなのである。

 この国の建国者たちは独立宣言において、「すべての人間は平等に造られ、(中略)…奪うことのできない権利として生命、自由、幸福の追求」と記したにもかかわらず、その憲法において黒人を一人の人間として認めようとせず、人種差別を容認したからである。

 それだけに、今日のアフリカン・アメリカンの状況の改善を考えるとき、それは米国の黒人たちが白人主体の社会的抑圧に対して必死に抵抗し、その結果得たものであるということを決して忘れるわけにはいかない。

なぜ、歴史は重要か

 米国黒人の抵抗は以前とは形態は異なるものの、現在も続いている。

 現代に目を向けると、今年3月に94歳でこの世を去ったジョン・ホープ・フランクリンは、アフリカン・アメリカンの歴史家として、常に社会の多数派の視線から鳥瞰されがちな米国の歴史と現実に抗して、少数派の視線からその歴史を見直してきた。

 彼が南部における奴隷制から南北戦争を経て、公民権運動に至るまでの歴史を著した「アメリカ黒人の歴史―奴隷から自由へ」は、60年代後半から盛んになり始めたブラックスタディーズ(黒人研究)の先駆けとして大きな役割を果たした。

 また、彼は米国黒人学者がとるべき正しい選択は、自らが持つ力を「自分や黒人全体を孤立させている勢力と戦うために使うこと」であるという姿勢を明確にした。

 次に、1993年アフリカン・アメリカンとして初めてノーベル文学賞を受賞したトニ・モリスンをあげることができる。

 彼女は、白人が支配する米国社会で「見えない存在」として扱われてきた黒人の生を、過去の歴史から掘り起こして物語ることによって、人間としての尊厳を取り戻し、アフリカン・アメリカンとしての主体性の回復を目指した作家である。

 トニ・モリスンの代表作である「ビラヴィッド」(Beloved…『愛されし者』という意味)は、彼女が「ザ・ブラック・ブック」(黒人の歴史教科書)を編さん中に知った、1856年に実際に起こった女逃亡奴隷マーガレット・ガーナーの子殺しをモチーフにして書かれた。

 ここで注目すべきは、2人が抱いているのは歴史の忘却に対しての危機感であるということだ。

 1980年代以降、政治的公正により、米国社会で差別色の少ないアフリカン・アメリカンという呼称が用いられるようになった。しかし、これによりかえって過去の歴史が黙認されてしまう傾向も少なくない。歴史を隠ぺいしようとするこうした力が依然として作用するなかで、主体的な生の営みを可能にしてくれるものは何かといえば、それはやはり歴史認識の堅持なのである。

 以上のように、米国社会を虐げられた人たちの視線から眺め、語られる文学作品を読むことは、この国の社会構造と抱えている問題を正確に捉えるうえで、とても重要である。

 そればかりではない。

 彼らの経験を知るということは、その歴史を想像し共感するだけでなく、また自分自身の立場をも再確認させてくれるのだ。

 日本国家が未だに植民地時代の清算をせず、逆に過去の歴史を隠ぺいすることによって意識的に忘却を強いるそのような状況下で暮らす在日朝鮮人にとって、植民地時代の過去は「過去」になりきれず、今も浮遊したままである。

 こんにち、なぜ歴史が重要なのか。

 この問いを前にして、彼らの経験から学べるものは少なくないのではないだろうか。(姜承福、朝鮮大学校・外国語学部助教)

 ※公民権運動以降、一定の権利を持つようになった人々に対してアフリカン・アメリカンという呼称を使い、それ以前の人々については、米国の黒人とした。

[朝鮮新報 2009.7.27]