top_rogo.gif (16396 bytes)

〈万華鏡−9〉 国民的作家によるネット小説

 5月2日付の仏紙週刊ル・モンド国際版3面は、東京ソウル特派員の取材記事として南の国民的作家・黄ル暎氏の近況と新作品について一面全部を費やした。アジアの作家について仏紙が一面を費やして取り上げるのはとても珍しいことである。

 黄ル暎氏については、今さら説明する必要もないであろう。

 1989年に朝鮮を訪れ、帰国が許されずベルリン芸術院招聘作家としてドイツに滞在。93年に帰国したが訪北の「罪」で7年の刑を宣告され、98年、金大中政権の登場によって赦免釈放された。

 その後、旺盛な創作活動を繰り広げる傍ら、2004年にはロンドン大学客員研究員、06年にはパリ大学客員研究員となり、現在は民芸総の会長職にある。

 ノーベル文学賞も噂される彼の作品はフランス、米国、ドイツ、英国、日本などで数多く翻訳されているが、フランスでは「誌匂稽 亜澗 掩」「巷奄税 益潅」などの4作品が翻訳されているという。

 記事では、08年に発表された彼の小説「鯵剛郊虞奄紺」を紹介しながら、この作品が作家自身の思春期から20歳くらいまでの時期、日雇い労働、イカ釣り漁船の船員、飯場労働、ベトナム戦争従軍、行者生活などの彷徨を回想した自伝的小説であるだけでなく、世代間の溝を見事に乗り越え若い世代の熱い支持を受けた作品であると評している。

 実際、南のメディアを覗いてみると、この作品はまずネット上で6カ月近く連載され、その内容、たとえば初恋の情景、オモニとのエピソードなど、公表されるたびに若い読者らと作家との対話がなされ、ひいては米国産牛肉の輸入に反対する数十万市民のキャンドル集会をはじめとする多くの政治論議までもがネット上で繰り広げられたという。

 結果、約200万の若者(主に20〜30代)に読まれ、昨年夏に単行本として出版されるや、たちまち50万部を売りつくしたという。

 この現象は、インターネットという媒体があまりにも軽いため、ネット小説ごときは本格的な文学作品にふさわしくないという社会通念を覆したという意味で、南の文壇で一つの「事件」となった。

 日本でもネット小説や携帯小説が流行っているが、国民的作家の本格的な文学作品が若い世代の反応をこれほど惹起したということはあまり聞かない。

世代間ギャップの克服

 記事が指摘する点はまた、通念上よく言われる世代間のギャップというものがこの小説を通じて見事に克服されているということである。

 小説は、主人公ジュンが若かりし頃を回想するというモチーフで進行するが、朝鮮戦争直後に作者自身が体験した混迷の日々を綴っており、青年期の不安、彷徨、募金活動、反抗、高校時代の束の間の幸せと退学(作家自身高校を中退)、そして何よりもベトナム戦争への従軍という辛苦が描かれているという。

 確かに物質的に裕福で、生活苦というものを知らない今の時代とはまったく異なっても、若者が抱える不安や苦悩、喜びを作家自身が彼らに歩み寄ることによってそれらを共有し、共鳴する空間を創出したと指摘している。

 黄ル暎氏は記者に、「時代は変わっても世代間に理解不可能なことは存在しない。私は自分の青年期について書いたが、確かに当時の私と同じ年頃の今の若者たちについてよく知らず、ナルシスト的な作品になるのではと思い、幾度も筆を置こうかと思った。だが、とにかく彼らと対話しようと思いネット上に公開した。書き進むにつれ、彼らのメッセージやコメント、質問などが押し寄せてきた」と語っている。

 私は専門家ではないので彼の人や作品を評する立場にないが、ただ彼の小説が若者たちに強く支持された背景には、ネット上の対話ということもさることながら、やはり作家自身が身をもって示した生きざまが作品を通して彼らに強く訴えかけたのだと思う。

 悲惨な生活苦に置かれても他者への思いやりを失わず、差別され置き去りにされた貧しき人々への慈愛と、格差を生み出す社会構造や様々な不正、不条理に対するプロテスト、ひいては南の民主化と分断克服のためにたたかった作家自身の献身と精神性が、現在の若者たちに確実に受け継がれたことへの証明ではなかろうか。時代は変わっても、信念をもって民衆のためにたたかった大人たちを若者はしっかりと見据えているということだ。

 ちなみに、「鯵剛郊虞奄紺」とは野良犬や物乞いが一日の飢えをしのごうと残飯を待ちわびる夕刻に輝く星(宵の明星、金星)で、彼が少年のころ寝屋を求めてさまよっていた時、いつも付き添ってくれた星だという。

 記者もタイトルの仏訳に苦労したとしながら「L,Etoile du berger」(羊飼いの星=金星)としたが、「berger」とはフランス語で牧者=イエス・キリストをも意味する。

 記事の最後に黄ル暎氏は、朝鮮戦争勃発60周年に際して冷戦の終結と北南朝鮮の和解、ひいては東北アジアと中央アジアの平和を訴えるため、パリからウランバートル、平壌を経てソウルに至る壮大な旅を計画しているという。

 そしてこれには、朝鮮の作家ホン・ソクチュン氏(04年に「ファン・ジニ」で南の権威ある「萬海文学賞」を受賞)、フランスとトルコのノーベル文学賞作家であるジャン=マリ・ル・クレジオ氏とオルハン・パムク氏も参与するという。ヨーロッパから中央アジアを経て最後の冷戦地帯である朝鮮半島へ至る彼らの歩みが何をもたらすのか、今からとても楽しみである。(河在龍、朝鮮大学校外国語学部学部長、おわり)

[朝鮮新報 2009.8.3]