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関東大震災時・朝鮮人殉難者追悼碑の説明板に明記

「八六年、真相も究明されず」

追悼碑とその左脇に設置されたステンレス板

 東京・墨田区荒川河川敷そばに建立された朝鮮人虐殺事件「追悼碑」の左脇に設置されたステンレス板には次のような銘文が刻まれている。

関東大震災時 韓国・朝鮮人殉難者追悼碑 建立にあたって

一九一〇年、日本は朝鮮(大韓帝国)を植民地にした。独立運動は続いたが、そのたび武力弾圧された。過酷な植民地政策の下で生活の困窮がすすみ、一九二〇年代にはいると仕事や勉学の機会を求め、朝鮮から日本に渡る人が増えていた。

一九二三年九月一日 関東大震災の時、墨田区では本所地域を中心に大火災となり、荒川土手は避難する人であふれた。「朝鮮人が放火した」「朝鮮人が攻めてくる」などの流言蜚語が飛び、旧四ツ木橋では軍隊が機関銃で韓国・朝鮮人を撃ち、民衆も殺害した。

六〇年近くたって荒川放水路開削の歴史を調べていた一小学校教員は、地元のお年寄り方から事件の話を聞いた。また当時、犠牲者に花を手向ける人もいたと聞いて、調査と追悼を呼びかけた。震災後の十一月の新聞記事によると、憲兵警察が警戒する中、河川敷の犠牲者の遺体が少なくとも二度掘り起こされ、どこかに運び去られていた。犠牲者のその後の行方は、調べることができなかった。

韓国・朝鮮人であることを理由に殺害され、遺骨も墓もなく、真相も究明されず、公的責任も取られずに八六年が過ぎた。この犠牲者を悼み、歴史を省み、民族の違いで排斥する心を戒めたい。多民族が共に幸せに生きていける日本社会の創造を願う、民間の多くの人々によってこの碑は建立された。

二〇〇九年 九月

 関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会
 グループ ほうせんか

[朝鮮新報 2009.9.4]