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旧日本軍軍人軍属 朝鮮人犠牲者を供養 同胞、日本人らが東京・国平寺で

 旧日本軍軍人軍属の朝鮮人犠牲者を追悼する死亡者連名簿供養会と追悼舞踊公演「千秋之慰」が3日、東京都東村山市の国平寺で営まれ、名簿の中から父の名前を見つけた同胞や日本人ら150人が参列した。国平寺と東京朝鮮人強制連行真相調査団が共催した。

2万数千人の名簿、日本人が作成

舞踊公演で追悼

集いには150人が参加した

 供養会では、国平寺の尹碧巌住職の読経のあと、追悼舞踊公演が行われた。

 趙寿玉(舞踊、特別出演)、李明姫(唱・カヤグム、特別出演)、辛錦玉(舞踊)、朴根鐘(テグム・アジェン・チャング)、李東信(タンソ)、李榮勲(ピリ・チャング)さんらが出演。全羅南道などで厄払いの儀式として踊り継がれた「サルプリチュム」や、悪鬼を払い幸せを願って霊魂の極楽往生を祈る「パラチュム」、民族楽器による即興の朝鮮民謡「アリラン」演奏などを披露した。

 名簿などを作成した元塾講師の菊池英昭さんが、自らつくった詩を朗読し供養した。

 「名簿をつづりながら思った/戦争をするのは国家/民衆は戦争が嫌いだ」

 詩のなかでは、戦争当時のエピソードが紹介された。太平洋のナウル島で食糧不足に見舞われた日本軍のある部隊で、戦力保持のため「半島人軍属を抹殺する」という提案がなされた。だが、設営隊の隊長が「共にたたかう」といって、殺害を止めた。その勇気は、わずかに生き残った人々の胸に刻まれた。

 「そのことは60余年も前のこと/でも男たちの死んだ日も死んだ場所も/故郷に知らされることはなかった」「在日同胞たちが国平寺に集い/住職の読経を聴き/手を合わせてくれる/秋夕の舞もあるという/よい一日であるに違いない」

 東京調査団の西澤清・日本人側代表は「名簿の多くは創氏名。本名に戻す必要がある」と強調。同調査団が行っている東京大空襲や八丈島への強制連行などで犠牲となった人たちの調査活動について言及し、「私たちが声をあげ、日本政府が過去清算に本格的に取り組むよう求めていこう」と呼びかけた。

名簿から父親の名前

犠牲者を追悼する公演も行われた

 名簿は、菊池英昭さんが日本や南朝鮮の各地を渡って約10年かけて作成した。名前、死亡日時と場所、所属部隊、出身地などが記載、整理されている。

 この日に向けて、尹碧巌住職が2万数千人にのぼる犠牲者の名前を一人ひとり読み上げ供養してきた。多くが創氏改名されていたため心が痛んだという。

 供養会に参加した池蓮伊(78)、池移蓮(71)さん姉妹の父親は、旧日本海軍の軍属として太平洋の前線に連行され亡くなった。家族のもとには中身のない箱だけが届き、戦死したと伝えられた。兄が、父が戦死したとされる地を訪問したが、何の痕跡もみつけられなかった。

 「死んだと知らされ、オモニは地面に突っ伏して狂ったように泣いた。今でも鮮明に覚えている」

 池姉妹は「やっとアボジの夢を見られる。7人の兄弟に伝えたい。きっと喜ぶはず」と涙し、「名簿の中から父の名前を見つけ、さらにこうして供養までしていただいた。亡くなった人たちも、私たち遺族も心が休まる」と主催者や菊池さんらに感謝した。

 菊池さんは「ソウルで見たある名簿は、遺族たちが何度も何度もめくって家族の名を探したこともあって擦り減って読みにくくなっていた。それほど遺族の思いは強い。名前を見つけたと聞いてうれしい」と語った。(泰)

[朝鮮新報 2009.10.13]