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「クニ」という響き

 「島では本土のことを『クニ』と呼ぶんですよ」。八丈島で知り合った人からそう教えられた。その言葉は、沖縄の人が話す「ナイチ」の響きと重なり合う。

 江戸時代には流人の島として、今ではダイバーの聖地として有名な八丈島だが、その「昔」と「今」の間に眠る戦争の歴史はあまり知られていない。

 八丈島は本土防衛のための「要塞島」として、豊かな自然の裏で、その姿を変えていく。三原山の中腹、鉄壁山に海軍司令部が迷路のように掘られ、防衛道路や滑走路が急ピッチで建設された(その工事で多くの朝鮮人が強制労働を強いられたことは既報した)。

 また、関東で唯一、人間魚雷「回天」が8艇持ち込まれた。自爆を前提に南方から攻め上がる米艦を足止めするためだったが、結局は大本営の予想よりはるかに早く戦局が悪化し、「回天」は無用の長物となった。

 土砂降りの中、南原千畳岩海岸の端に残る「回天」発射場跡地を訪れながら、もし号令がかかっていたならば、ここから爆薬を詰め込んだだけの鉄管が飛び出し、無垢の若い命が失われたのかと、背筋が凍る思いがした。

 少し前、クリント・イーストウッド監督の映画「硫黄島からの手紙」が話題となった。本土防衛のために切り捨てられ、血染められ、それでも本土に向けて「万歳」を叫ばされた人たち。「クニ」や「ナイチ」という言葉を聞くたびに、それは本土それ自体を指すのではなく、見捨てられ続けた、受忍の叫びのように思える。(茂)

[朝鮮新報 2009.11.30]