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オカルトではない「2012年」

 「最も事業仕分けが必要なのは『国』」(構想日本)だと、予算の無駄使いを洗い出す「事業仕分け」のニュースが茶の間を賑わせている。巨額資金提供疑惑を引き合いに、「予算を首相の母にお願いしたら」と皮肉を語る政治家もいる。

 よほどの会社、組織でないかぎり「本当にこの役職にこの人数が必要なのですか」といった議論は起こらない。日本は明るい未来を描けるのだろうか。

 さて、近しい未来−「2012年」はどうなるだろう。この単語への反応は2つに分かれる。「マヤ暦」をもって「終末論」を唱える人と、「明るい未来」を描く人だ。朝鮮民族にとっては言わずもがな、「金日成主席生誕100周年を迎える年」であり、「強盛大国の扉を開く年」である。

 知人によれば、「『太陽節』を機に5125年周期で訪れる『新たな太陽の時代』が始まることをマヤ文明は予言していたのだ」と言う。冗談でも民族を愛するその心意気だけは認めたい。

 チュチェ思想は、人は自主性、創造性、意識性を持った存在であり、その運命を決定するのは自身であると規定している。

 ある非専従活動家は活動家会議の席でこう言った。「われわれがやらんとする支部活動は誰かのためのものではない。われわれの明るい未来のためだ。2012年を目指して一致してがんばろう」と。「自らの手で切り開いてこそ、未来は値打ちがあるというものだ」とも。

 時間に限りはあれど、残そうとする足跡に限りはない。(丘)

[朝鮮新報 2009.12.7]