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「やればできる」

 11月8日、「優勝!」という題名で「25−19で、常翔啓光に初めて勝ったぞー」というメールが関西出張中の先輩記者から届いた。大阪朝高ラグビー部が「全国大会」出場を決めたのだ。興奮気味のメールの内容、歓喜にむせぶ現場の熱気が伝わってきた。

 1990年5月、大阪朝高女子バレーボール部は府高体連主催の春季大会にエントリーし、1次予選を勝ち抜いたが、府高体連は途中で「辞退」するよう求めた。理由は「同校が勝ち抜いても『全国大会』には出られないことを知らなかった」「受け付けたことが『ミス』だった」というものだった。

 理不尽な対応に、在日同胞ばかりか広範な日本人からも非難が集中し、朝鮮学校の高体連加盟、「全国大会」参加を認める運動へと発展していった。世論の高まりと権利獲得運動のなか、まず高野連が91年3月に、甲子園への道を開いた。

 そして高体連は93年5月の理事会で、インターハイへの参加を翌94年から特例として認め、96年までには高体連主催のすべての競技大会参加を認めた。

 「全国大会」でメダルを手にする朝高生の姿は同胞社会に活力を与えた。その一方で、日本のスポーツ関係者は団結して応援する同胞の姿に驚いていた。

 今月30日、「全国大会」初戦に臨む大阪朝高ラグビー部は、初のベスト8を目指す。これまで権利を勝ち取ってきた運動のように、「やればできる」という気迫で花園を駆け、各地の同胞に来る2010年への力と勇気をプレゼントしてもらいたい。(東)

[朝鮮新報 2009.12.21]