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原告側最終意見陳述書(要旨) 在日朝鮮人の集会・表現の自由侵害

1 始めに

2007年3月3日、東京の日比谷公園大音楽堂で行われた「3.1人民蜂起88周年」在日本朝鮮人中央大会

 本件訴訟の問題の本質は、憲法第21条「集会・結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」の侵害にある。

 憲法は、本来権力の乱用を防止するためにあるもので、表現の自由が侵されようとするとき、東京都庁はこれを防止し、表現の自由を守る義務がある。故に都庁は、もし本集会に反対して妨害行為にでようとする者が予想される場合には、これを阻止して集会を成功裡に終了させる義務があるのであって、「公の施設」の利用拒否は、表現の自由を侵すことであり、憲法の禁ずる「検閲」に該当する。さらにそのことで憲法98条1項違反となり、違法と評価されるべきだ。

 本件は、本来市民の集会の自由を担保する義務を負っている行政側が、積極的に集会の自由の妨害に荷担した特異な事例だ。

 使用不許可とした石原東京都知事は、優れた文学者でもあると伺っている。文学者は、表現の自由に敏感でなければならない。その文学者が、なぜ集会拒否という重大な表現の自由の侵害に思いを及ぼさなかったのか。主催者が、在日朝鮮人だからなのか。

2 本集会の目的

 本集会は、在日朝鮮人への人権侵害事件が多発したことに抗議し、人権の擁護を求めて企画されたものだ。

 2006年11月27日、「薬事法違反」容疑を口実とする朝鮮総連東京都本部を含む関連施設・朝鮮総連職員宅への大規模な強制捜査が実施された。この事件の被疑事実は、在日朝鮮人女性が訪朝する際に持参しようとして医師から栄養剤を購入した行為が、「薬事法違反」行為の「教唆」に当たるという、およそ犯罪を構成しようのない荒唐無稽なものだった。しかし当局のリークによるものなのか、マスメディアは、「点滴液大量輸出図る 生物兵器転用可能」「『北』軍・党幹部向け? 万景峰号で持ち出し図る」などと大々的に報道した。

 その後も、警察当局は、在日朝鮮人の個人的な「労働者派遣法違反」「税理士法違反」「自動車窒素酸化物・粒子状物質削減法(NOX・PM法)違反」などの比較的軽微な「事件」を口実にして、事件と全く関係のない朝鮮総連本部及び支部、商工会、朝鮮学校などに対する強制捜査を繰り返し行った。その数は、2005年10月から2007年2月6日までの間に、東京、兵庫、神奈川、岡山、滋賀、北海道など日本各地の朝鮮総連地方本部4カ所、同支部2カ所、朝鮮商工会5カ所、朝鮮学校1カ所、傘下団体1カ所、職員及び会員などの個人宅39カ所の合計52カ所にも及んだ。

 これら一連の強制捜査は、公安主導で行われた、在日朝鮮人に対する重大な人権侵害行為だ。漆間巌警察庁長官(当時)は、「北朝鮮への圧力を担うのが警察」だとか、「北朝鮮が困る事件の摘発に全力を挙げる」と公言した。

 かってイギリスの優れた政治家は、このように表現の自由について、その論敵に関しその見解を述べた。

 「私はあなたの意見には反対する。しかしあなたのその意見を述べる自由については、私は体を張って守る」

 この文章は、表現の自由について語るとき、必ず引用される古典的なものだが、この文章を読んだとき、私の体は凍りついた。これほど表現の自由は、民主主義社会を維持するための根底になければならないことを感じさせられたことはない。

 本件集会は、このような朝鮮総連に対する日本当局の政治的弾圧、及び在日朝鮮人に対する人権侵害、社会的差別に対し、多くの在日朝鮮人から「一連の事件の真相、朝鮮総連に対する弾圧及び在日朝鮮人に対する人権侵害の実態、在日朝鮮人の怒りの叫びを、声を大にして日本社会に積極的にアピールすべきだ」という意見が寄せられ開催するに至ったものだ。

 東京都は、表現の自由に照らして、本集会をこのような人権侵害に対する抗議の声を、新たな人権侵害によって抑圧しようとした。すなわち、東京都は、本件集会に対する使用承認を取り消すことで、本件集会を中止へと追い込もうとしたのだ。

3 本集会拒否の根元的違法性

 朝鮮総連が主催する集会だから、拒否しても良いとする驕った考え方が、都庁にはなかったか。自らに問うてほしい。

 さらに本件を、単に在日朝鮮人に対する人権侵害行為としてのみ捉えることは許されない。本件は、まさしく、公権力による集会の自由・表現の自由に対する重大な挑戦と位置づけられなければならない。

 本件集会の取消処分の後、プリンスホテルが、右翼団体による抗議を理由として日教組が主催する集会についての利用を拒否するという事件が発生した。また、右翼団体の抗議によって、靖国神社を題材とした映画の上映を、民間の映画館が中止するという事件も発生している。

 本件は、このような、日本社会において集会の自由・表現の自由が危機に瀕しているという事態の先行事例として、また、核心的事例として捉えられなければならない。ましてや、本件は、上述のような民間施設による使用拒否と異なり、行政が公共施設の使用を拒否した事例であって、その違法性は顕著だ。

 裁判所においても、本件についての判断に、裁判所の人権感覚が問われている。

 在日外国人の日本社会における集会の自由・表現の自由の保障を左右することになるという認識のもと、日本国憲法の遵守を声高らかに宣言するものと信じている。(床井茂、原告代理人弁護士)

[朝鮮新報 2009.2.2]