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川崎初級を訪問して 「子どもを大切に守ろうとする大人たち」

困っているときに助けてくれた祖国

 2月3日、学校法人神奈川朝鮮学園川崎朝鮮初級学校を見学した。案内をしてくれた金龍権校長先生は、日本人に偏見をもたれがちな民族学校が、本当は「普通の小学校」と変わらないところなのだと私たちに知って欲しいと思っているように感じられた。−北朝鮮バッシングが強まり、チマ・チョゴリを着た女子生徒が罵声を浴びせられたり、ひどい場合には暴力をふるわれたりする現状がある以上、それは当然のことである−が、私はもともと民族学校に対するそうした悪いイメージは持っていなかったつもりであり、「子どもたち」は「子どもたち」であるという確信のようなものがあった。生徒たちはのびのびとして元気に学んでいた。

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川崎朝鮮初級学校を訪問した日本の学生たち(2月3日)

 生徒たちが朝鮮語で授業を受ける姿を見て、私は06年12月、アゼルバイジャン共和国でチェチェン難民学校を見学したときのことを思い出していた。その社会のなかで抑圧されたり排除されたりしている在日コリアンもチェチェン人も、子どもをとても大切に守ろうとしている。親と教員が一緒になって、民族の言葉や歴史や文化を教え、子どもたちが自分を否定せず、誇りを持てるような人間に育つことを願って教育を行っているように見える。チェチェン難民学校の先生たちも非常に安い給料で子供たちを教えており、それは学校というより家族のようだった。

 ところで校長先生の話では、在日コリアンのなかにも、朝鮮学校ではイデオロギー的な思想注入を行っているのではと訝る人たちもいるということであった。そういったことは全くない、と校長先生も言っていた。とはいえ朝鮮を「祖国」としていることは事実である。

 彼らが今よりもっと苦しんでいた時代に、物心両面で自分たちを支えてくれたのは韓国ではなく朝鮮であったという。お金や物を送ってくれたり、あるいは在日コリアンが日本で差別を受けている状態に対し、それを批判する声明を発信してくれたりしたことを話したあと、校長先生が言った「困っているときに助けてくれる国こそが祖国でしょう」という言葉が非常に印象的であった。
 

NPO「アリランの家」でくつろぐハルモニたちが日本の学生たちを温かく出迎えた

 この言葉をもって私が彼らのように朝鮮を肯定することはできないけれど−「国家」というもののうち、肯定できるものなどこの世界にないと思うが−、苦しんでいても誰も助けてくれないときに手を差し伸べてくれる国があったという事実、彼らがそう受け止めていること、この重みを感じずにはおれなかった。

 ちなみに、朝鮮からの金銭的支援とともに川崎市からも教材などにあてるお金を年に100万円と、生徒一人当たり6万円の助成金があるという。しかしながら朝鮮学校は日本政府から正規の学校として認可されていないため、国庫からの助成金はない。現在も生徒を通わせるには1カ月に2万円の学費を払わねばならず、通わせたくても通わせられない親たちは多い。民族学校の運営は経済的にとても厳しい。

 在日コリアンは日本社会のなかで日本人と同等の納税義務などを課せられているにもかかわらず、日本人と同等の権利を持つことができないという不正義を、ここで改めて強調しておきたい。

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 民族学校を見学した後、朝鮮総連川崎支部の事務所と、在日コリアン(といっても朝鮮籍の方が多い)の高齢者を介護するNPO「アリランの家」を訪問した。

 はじめに、事務所の2階で皮進支部委員長と「アリランの家」の金三浩理事長に話を聞いた。総連には近寄りがたいものを感じていたが、皮進さんも金三浩さんも非常に接しやすい感じで私たちを迎え入れてくれ、在日コリアンの置かれた状況や「アリランの家」の紹介などを丁寧にしてくれた。金三浩さんには、自身や母親が日本へと渡ってきた過去についても話してもらった。そして、在日の一世と二世、三世との認識の差異などに関しても話題に上がった。

 一世の在日コリアンたちが、「祖国」にいつかは帰るつもりで暮らしていたということは金校長先生の話にも出ており、民族学校の前身であった国語講習所は、子どもたちが帰国したときにハングルが読めなかったらかわいそうだから、日本にいる間に教えてあげようということで始まったとのことであったが、現在の在日の子どもたちは、帰国するつもりの人はほとんどいないのが現状である。

 話を伺った後に、1階の部屋でおばあさんたちがカラオケをしているところを見学した。彼女たちの歌を聞かせてもらった後、お返しに歌えということで、学生の何人かが代表でそれぞれ歌った。

 中国から来た朝鮮族の留学生(横浜国立大生)が歌った朝鮮民謡「トラジ」を、おばあさんたちが一緒に歌うのを聴きながら、私は生まれた場所や時代、生きた歴史がこれだけ違っても、こうして同じ歌を口ずさめる共同体が確かに存在するのだということを身体中で強く感じていた。

 そしてその時は考えなかったけれど、今振り返ってみれば11月の韓国フィールドワークのときに話を聞いた、サハリンから帰国した韓国人のおじいさんたちのことが私の脳裏に浮かび、残り少なくなった第2次大戦の体験者と、「第2の植民地主義であるグローバル化」(西川長夫)が生み出す新たな移住者たちとが重なり合うこの時代に、世界史上における「人の移動」−あるいは「拡散」?−とはいったい何なのか、それを引き起こす力学とはいかに在るのか、今一度考えてみなければならないと気づかされたのである。(I・Y、立命館大学大学院生)

[朝鮮新報 2009.4.3]