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〈万華鏡−1〉 日本の英語教育の現状

 いま、日本の英語教育では大変な事が起こっている。戦後50年以上にわたる学校における英語教育の歴史を、根底から揺るがすような大規模な改革がここ数年の間に着実に行われているのである。

 文部科学省は、2012年度までに完全実施されるいわゆる「新学習指導要領」において、英語教育の内容を大幅に改訂した。今年3月には高校の新学習指導要領も公示されて、これで11年度から順次実施される小学校、中学校、高校の指導要領が出揃った。

 英語教育に関する今回の改訂の特徴は次に挙げる3点に絞られる。

 @小学校においては5、6年生に対して「外国語活動」の科目名を用いて実質的には英語教育を必須科目として実施する。

 A中学校においては英語授業の時間数を現行の週3時間から1時間増やして4時間とし、取り扱う言語材料においては単語数を現行の900語から1200語に増やす。

 B高校においては英語の科目構成を刷新して学ぶべき語数も増やし、さらに授業は基本的に英語で行う。

 今回の改訂の中で特に各界の関心が高いのが、小学校においての英語の必須化、つまり、早期英語教育の実施である。小学校における英語の授業は、実は今年からすでに始まっている。学習指導要領の一部は12年の完全実施の前に09年度から前倒しして実施されているが、その中でもっとも注目を集める「目玉」が小学校においての英語授業の実施である。

なぜ小学校で英語?

 小学校英語の実施に伴い、考えなければいけない事はいろいろあるが、ここでは「なぜ、いま小学校英語なのか」という問題に絞って見てみようと思う。

 小学校における英語授業は先に述べたとおり、建前上は「外国語活動」となっている(現に文科省のホームページを見ても、学習指導要領を見ても「英語活動」とは書いていない)。しかし、現実的には小学校での「外国語活動=英語の授業」という公式が厳然と存在しているのである。この英語授業の実態は小学校5年生、6年生を対象として週1時間、年間35時間、2年間で合計70時間の英語授業を行うこととうたわれている。

 日本における早期英語教育論議は今に始まったものではない。近年においては、02年に行われた学習指導要領の改訂に伴い、いわゆる「総合的な学習の時間」が導入され、「国際理解に関する学習の一環としての」英語教育が全国の多くの小学校で実施され現在に至っている。この間、多くの私立小学校では何らかの形で英語の授業が行われてきたのは事実であり、全国でも「英語特区」として有名な群馬県太田市には、小学校の段階からいわゆる「英語漬け」による、完全なイマージョン教育を行っている学校もあることはよく知られている。

 もともと、早期英語教育実施に関しては有識者や専門家の中でも賛否両論があり、かなりの割合で反対意見の方が多いように見受けられる。中には外国語排除論的な極端な主張もあるが、言語習得理論に基づいてみても、外国語教育はその開始が早ければ早いほど良い成果が期待されるという単純なものではない。

 いずれにせよ小学校英語の導入の背景には一般庶民から政府役人に至るまで広く浸透している「日本人は英語ができない」というコンプレックスが根底にあるように思える。国際社会においてトップの位置を占めたい日本としては、大方のところ、できるかできないかは別として、すべての国民に一定の英語力を求めたいという国の言語政策と英語コンプレックスの反動として小学校英語が実施されたという背景があるという事を認識して置くべきである。

早期教育は根本対策か

 小学校での英語教育が必須となり、はたから見ると今後日本の英語教育においては多大な成果が期待されているが、これは率直に言って甚だ短絡的な考えだと思う。小学校英語教育の実施は、おのずと莫大な労力と費用を小学校からの英語教育につぎ込むことになる。しかし、その前に、現在のヒートアップしている「日本の英語教育問題」を、今一度冷静に検証してみる必要があるように思える。

 日本が真に国民に対して「実用的な英語力」を望むのなら、極端な話、大学の入試制度を抜本的に改めることによって、より合理的で効果的な英語教育が可能かもしれない。例えば、文部科学省が後援している実用英語技能検定(英検)の準1級なり、2級合格を各大学の入試において英語科目の合格基準として認定するなどの措置を取れば、流れは大きく変わっていくと思われる。このように日本の英語教育を改革するならば、小学校から英語教育を始める必要性は乏しくなるのではないかと思われる。

 また、小学校における英語教育を担当する教師の問題も不透明なのが現状である。英語授業を担当する教師は中学、高校などの英語教員免許を持った教師が担当するべきなのか、小学校の教員が行うべきなのかについても、まだ議論が浅いと思われる。

 注意すべき点は、安易にただ英語が堪能な人材を充てれば良いというものではないという事である。例えば、小学校の英語教育を扱う程度ならば現在の小学校教師にさせれば十分というような考えもナイーブな考えだと思われ、それとは逆に、ALT(外国語指導助手:Assistant Language Teacher)を導入して、安易に英語の母語話者を教室に入れて、児童教育の専門的訓練を受けていない外国人が授業を行っても、それに伴う莫大な経費投入に比べて、教育的効果は少ないのではないかと思われる。

 結局、小学校からの英語教育実施に伴う実際の効果は、音声面の技能習得(発音が良くなるなど)においてはある程度の効果が期待できるかも知れないが、その他の点においては、早くから「英語嫌い」を作ってしまうなど、デメリットの方がより多いようにも思える。(金峻、朝鮮大学校 外国語学部教授)

[朝鮮新報 2009.6.8]