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〈投稿〉 「母へのラブレター」

 先日、大阪在住の高政子さんから、母校−朝鮮大学校校舎竣工50周年を記念して投書が寄せられた。内容は自身の誕生日に娘、李佳也さんから受け取った手紙である。その一部を紹介する。

*    *    *

朝大運動会で

 卒業前に急に「あなた」にラブレターを書きたくなりました。

 そうあなたが突然朝鮮新報の紙面に現れたのは、昨年の6月のことでした。

 あなたが「恩師、高演義先生」や「ロマンス通りに抱かれた朝鮮大学校」へあてた手紙は、新報で大きく取り上げられ朝大の授業中にも紹介されました。事前に何も聞いていなかった私と妹は、ただただ驚くばかりでした。

 その手紙には、当時の「ユニークな恩師たち」への想いや、私たち「命より大事な娘二人」を母校へ入学させたことへの誇り、そして「広い世界へと巣立つための羽」は、「この大学でこそ一番確実に、しっかりと育てられる」との強いメッセージが込められていました。

 あなたの前ではいつも強がっていた私ですが、あなたが高演義先生の記事(「反動の消しゴムで消せぬ祖国愛」)を読んで心震わせペンを執ったように、卒業を前にして私も一度ちゃんとあなたの「ラブレター」への返事を書こうと思ったのです。

 私があなたの母校であるここ、東京・小平の朝鮮大学校へ入学し、あなたがかつて(今も?)「○○オッパ」と呼んでいた方々を師として同じ外国語学部で学んだ日々。あなたが実の娘たちのようだと言っていた外国語4年生という素晴らしい仲間たちを得て、あなたがかつて、いいえ、今もなお抱く「民族教育を継承し、発展させたい」という想いを胸に、ここを巣立つ時がやってきました。

 「広い世界」へ踏み出すのを目前にして、初めて気づいたことがあります。

 何十年も前に、あなたが通った日本の中学校で、小さな体を震わせながら勇気をふりしぼり「本名宣言」をした時から芽生えた、素朴な、「民族」として生きるということへの思い。

 あなたがくれたたくさんの愛にはその体験が、散りばめられていたのだということを。各地から集まった同級生たち誰もが、それぞれ同じ思いを受け取って、ここ小平へ集まってきたと思います。

 あなたの心配のタネであるわたしたちは、ここ小平で4年間思いきり学び、感じ、葛藤し、自分たちのプリ(根っこ)を培い、そうして今、冷たい風が吹き荒れるなか「広い世界」へと思い切り羽を広げ飛び立とうとしています。

 あなたがかつてそうだったように、私も教え子と自分の子どもたちをこの朝鮮大学校に入学させることでしょう。そのときはきっと、私が「オンニ」「オッパ」と呼んでいた、もしかすると私の大切な仲間の誰かが教鞭を執るこの大学へ、各地からやってきた子どもたちが小平へと足を運んでくるでしょう。

 そのためにはまず私たちが羽ばたいて、いく先々で、どんな壁が立ちはだかろうと、先頭に立って未来を切り開いていこうと思います。そうやって今まで半世紀以上、「愛族愛国」の思いもつなげて来たのだから…。

 ―朝大卒業を十日後に控えた日、あなたの「娘たち」が住む、寄宿舎5号館205号室にて。

[朝鮮新報 2009.8.7]