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〈朝大 朝鮮歴史博物館-2-〉 朝鮮の原始時代、80点展示

「たかが石」「されど石」

 歴史と聞いて何をイメージするか。人物や事件、年代など複雑だという方もいるかもしれない。しかし、朝鮮史上人物や事件が確認できるのははるか後世のことであり、原始時代と呼ばれる数十万年前のことは、わかっていないことの方が多い。そのことを考えるためには、石器や土器など、原始人が遺したものを発見し、想像力をたくましくしていく以外に方法はない。したがって、朝鮮史研究に携わる筆者にとって石器は、「たかが石」でも「されど石」なのである。

コムンモル遺跡の旧石器

原始時代の展示コーナー

 さて、民族教育を受ける学生たちの中で知名度が高い原始時代の遺跡といえば、やはりコムンモルであろう。これは、朝鮮にある最も古い遺跡で、100万年前のものとされる。

 1966年に調査されたコムンモル遺跡は、平壌市祥原郡黒隅里の山の斜面にあり、道路工事の際に偶然発見された化石によって調査が行われた経緯を持つ。ここからは、29種の動物の化石(62%が死滅種)と、原人が遺した前期の旧石器が発掘された。残念ながら、人骨を発見するには至らなかったが、猿や水牛、ビーバーなどの化石から、当時、この一帯は気候が温暖で、湿地帯であったことが確認された。コムンモル出土の石器は、後の旧人(朝鮮では古人と呼ぶ)たちが遺したものに比べてはるかに大きく、また加工法も単純である。

 人類の化石が確認されるのは、旧人からである。平壌市力浦区域大專エの洞窟から発掘された力浦人が有名であるが、平安南道徳川市の徳川人、咸鏡北道花台市の花台人なども報告されている。新人は、徳川人と同じ洞窟から出土した勝利山人、平壌市勝湖区域の晩達人などである。また、旧人や新人が遺した石器は小さく、より実用化されている。

石斧などの新石器

南京遺跡出土の刻文土器

近年のコムンモル遺跡

 朝鮮では、8千年前に新石器時代が始まる。石は石でも、以前のように打ち砕くのではなく、磨いて作るのである。新石器時代とは、磨製石器や土を焼いて作った土器を使用し、農耕が始まる時代である。この時代の遺跡からは、石斧やスキ、クワなどよく磨いて作った石製農具、炭化した粟や黍などの穀物が出土する。

 人々が住んだ住居址も確認できる。このことは、数十万年の歳月、洞窟や岩陰を住居として利用しながら、動物と植物を狩猟採取してきた人類が人工の住居に定住し、農業を開始したことを物語る。そして彼らは、土器を作り始めたのである。匙や縫い針、釣り針など、道具も多種多様になり、動物の骨や角なども利用するようになる。まさに、新石器時代とは、「大革命」の時代と呼ぶにふさわしいのである。

 平壌市三石区域湖南里の南京遺跡や表岱遺跡からは、おびただしい数の石器や土器片が出土している。ここの代表的な土器といえば、やはり刻文土器であろう。この土器は櫛目文土器とも呼ばれるが、胴張りの円錐形をした褐色の胎土に、櫛で書いたような文様が繊細かつ均一に施されている。当館の刻文土器(南京遺跡出土)は、来館者の好評を得ている一品であるが、ぜひ見てほしい。

 石や土器をみて何がわかるかと思う読者も少なくないと思うが、展示品を通じ、これらを作った人々の生活ぶりをイメージしてみるのもいいかもしれない。(河創国、朝鮮歴史博物館副館長)

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[朝鮮新報 2009.10.16]