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長野初中創立40周年記念行事 「みんなの力でさらに発展を」

 長野朝鮮初中級学校創立40周年記念行事が25日、同校で行われた。総連中央の南昇祐副議長、総連長野県本部の李光相委員長、同校の李盛吉校長をはじめとする活動家と同胞、卒業生、「日朝長野県民会議」のメンバーをはじめとする日本市民ら約600人が参加した。

公演に大きな拍手

約600人が参加した

 1部の記念式典では、朝鮮の教育省から送られてきた祝電が紹介されたのに続き、南昇祐副議長が祝辞を述べた。

 南昇祐副議長は、同校が歩んできた40年の足跡を振り返りながら、すべての犠牲を払って学校を建てた1世たちの志を受け継いだ2世、3世たちが守り発展させていると指摘。先代に対する義理と後代への責任を果たすためにも、民族教育事業にいっそうの力を注いでいきたいと強調した。

 続いて、菅谷昭・松本市長と「日朝長野県民会議」の伊藤晃二代表委員が来賓のあいさつをしたのに続き、李盛吉校長が記念報告を行った。

 李盛吉校長は同胞、学父母たちの自慢であり、統一した祖国の未来の主人公、同胞社会の担い手を育ててきた長野初中をみんなの力でこれからもさらに発展させていこうと呼びかけた。

話に花を咲かせるハルモニたち

 また、友情出演した狭間壮さんが歌を披露したのに続き、すべての生徒、園児たちによる記念公演「つなげようわれらの思い」が上演された。

 初級部高学年と中級部生徒たちの民族楽器4重奏と合唱「長野同胞の誇り」で幕をあげた公演では、スライドで見る同校40年の歩み、中級部女子生徒たちの創作舞踊「継承」、幼稚園児たちの遊戯「われらは未来の主人公」、初級部低学年の歌と話「ウリハッキョ大好き!」など多彩な演目が披露された。

 観覧した同胞たちは、立派な朝鮮人になる決意を込めて舞台にあがった生徒、園児たちの姿に涙を流しながら大きな拍手を送った。

 公演は、創立40周年に際して同校の教員たちが作詞、作曲した「つなげようわれらの思い」を全校生徒が合唱し、生徒、園児たちが校歌「その名も輝け長野初中級学校」を歌って幕を閉じた。

年間通じてイベント

園児たちも母校の「誕生日」を祝った

 運動場で行われた2部の記念祝典では、同校卒業生たちのサムルノリサークル「チャンヤ」と鎌田中学校吹奏楽部、女性同盟東信支部チャンゴサークル「鼓Dong」と子育てサークル「モア」のオモニたちによる演奏、同校を卒業した金剛山歌劇団のメンバーによる公演などが披露された。

 また、アルピコ労働組合川中島バス支部と「日朝長野県民会議」が寄贈した通学バス、安英学選手と鄭大世選手からのスパイクとサイン入りTシャツ、アボジ会からのAEDなどの寄贈品が学校に送られた。

 一方、祝典に参加した同胞や生徒たちが常日頃から胸に抱いてきた気持ちを発表する「長野の中信で愛を叫ぶ!!」や、学校に関連したさまざまな問題が出される「ザ・クイズショー」など斬新な企画も盛りだくさんだった。

 祝典では、女性同盟中信支部と東北分会がそれぞれ40万円を李盛吉校長に手渡した。

 同校の三代目校長を務めた朴龍植さんは、「松本はよく寒いところだと言われるが、今日は同胞たちの熱気で『40度』くらいはあるようだ。こんなに多くの同胞たちが学校創立40周年を祝う姿を見ることができた。長生きしてよかった」と感慨深げに語った。

 同校創立の2年後から現在まで食堂で働ぐ美子さんは、「40年と一言で言うのは簡単だが、その間には大変なことが一つや二つではなかった。多くの先生と生徒たちを送り出すだけの人生だったが、この場に多くの人たちが戻ってきて創立40周年を祝っているのを見て、食堂で働いてきたやりがいを感じている」と話した。

 同校では今回の記念行事を成功させるため、県下のすべての団体の協力のもと昨年12月20日に学校創立40周年実行委員会を立ち上げ、準備を進めてきた。

 4月には、同校が最初に建てられた聖高原への同胞、学父母、生徒の合同遠足を行い、6月には運動会を、10月にはアボジ会、オモニ会、青商会、朝青、卒業生たちによる合同大掃除や金剛山歌劇団公演など、年間を通じてイベントを行い創立40周年を盛り上げてきた。

 実行委員長を務めた李忠明さんは、1世たちが開拓し、2世、3世が受け継ぎ発展させてきた長野初中の40年の歩みは、民族教育の正当性を知らしめる過程だったと述べながら、すべての同胞と多くの日本市民が学校支援一口運動をはじめとするさまざまな活動に協力してくれたことで今日を迎えることができたと強調した。そのうえで、「ウリハッキョ、民族教育は過去と現在はもちろん、未来でも大切な財産だ。母校の寄宿舎で本当の兄弟のように過ごしてきた同胞と学父母たちとともに、子どもたちに朝鮮の言葉と文字、歴史と文化を学ばせ立派な朝鮮人に育てられるようあらゆる困難を乗り越えて学校を守っていきたい」と語った。(李松鶴記者)

[朝鮮新報 2009.10.28]