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総書記現地指導単位の決意 再び千里馬を駆った朝鮮

強盛大国建設、必ずやこの手で

 【平壌発=韓昌健記者】昨年末から今年2月にかけて金正日総書記が現地指導を行った7つの単位を訪ねた(千里馬製鋼連合企業所、楽元機械連合企業所、新義州化粧品工場、嵋谷協同農場、元山青年発電所、大安重機械連合企業所、金星トラクター工場)。現場の雰囲気をまとめた。

 毎朝9時に国内各紙が平壌ホテルに届く。

 しかし、昨年12月25日だけは午後3時を過ぎても来なかった。何らかの事故でも生じたのかと思っていた矢先、夕方になってようやく届いた。労働新聞1面の見出しをみて合点がいった。
 

トラクターを増産する金星トラクター工場

 翌26日に慌てて千里馬製鋼連合企業所を訪ねてみると、すでに数十人の国内記者たちが工場支配人を捜して右往左往していた。みな、一様に興奮気味だ。さもあろう。現地指導とはいえ、これまでとは事情が異なる。

 「25日付の新聞を見た瞬間、あっと息を呑んだ。鳥肌が立った」と取材して回った単位の責任者たちは口をそろえる。

 この時期にあの場所へ。

 朝鮮人民は誰でも56年12月の逸話を知っている。45年10月、金日成主席が万景台の生家を目前にしてまず同製鋼所を訪れた話を知らない人はいない。12万トンの鋼鉄を生産したあのとき(57年)の力と勢いがなければ、今の朝鮮がないこともよく知っている。

 半世紀後の同じ12月、今度は総書記が製鋼所を訪れ、自ら千里馬に鞭を入れた。そして2012年までの4年、強盛大国建設の里程標を明示した。

 年初から総書記の精力的な活動が続いている。総書記自らが先頭に立って全人民を鼓舞し、牽引している。

 嵋谷協同農場のソン・ユニ管理委員長は、「いつも総書記が私たちを必ずどこかで見守っていてくれているという信念のもとに全農場員が働いている」と目を輝かす。

 同農場の農場員たちは、休日を返上して畑仕事に精を出している。取材した日はちょうど休日にあたっていたのだが、ソン管理委員長からそうと言われるまでまったく気づかなかった。それほどたくさんの農場員が休日にも汗を流し、トラックのエンジン音を山野にこだまさせていた。

 元山青年発電所は1月10日に竣工式を迎えた。小寒(5日)に同発電所を訪れた総書記は、2日後の7日にすべての発電所工事関係者にあてて感謝文を送った。その内容を竣工式で伝え聞きながら、ロ・キルチョン江原道人民委員会副委員長は「あまりにも嬉しくて心の中で何度も泣いた」という。

 元山青年発電所は江原道自らが構想を練り、ほとんどを自力で完工させた。「総書記は感謝文の中でわれわれのことを自力更生の先駆者だと評価してくれた。このことを全人民が知っている。これ以上の誉れはない」とロ副委員長は語る。続けて、「年初にまず総書記が元山青年発電所を訪れた意味を、われわれは噛み締めねばならない」と強調する。

 金星トラクター工場の従業員たちは、全員が現地指導を受けたあとからまるで別人のように働いている。「毎夕午後8時にテレビで流れる報道ニュースを、最近はみな画面にかじりついて食い入るように見ている。次はどこを現地指導したかという報道に接しただけで胸が高なる」とチ・ドンシク工場支配人は話す。

 大安重機械連合企業所のチャン・ウォンギュ支配人は、「総書記が車から降りたとき、思わず胸が詰まった。寒風の吹き荒れるなか、ご足労をかけた自分たちの不甲斐なさから自責の念にかられた」と語る。そんな工場従業員たちを総書記はかえって鼓舞し、帰り際には見送る従業員たちの姿が見えなくなるまで車窓を開けたままずっと手を振ってくれたという。

 その後、大安重機械連合企業所は一カ月の計画を半月で達成する勢いで発電設備を生産している。「今年中に必ずもう一度、総書記を迎え入れる決意でいる。そのときは胸を張って成果を報告したい」(チャン支配人)。

 全国各地の工場や協同農場が総書記の来訪を待ちわびている。自分たちのところにいつ来るかと期待に胸を膨らませている。総書記が訪れるその日を夢に描きながら懸命に励んでいる。すでに現地指導を受けた単位は、その栄誉に恥じぬよう、全国の模範として先頭に立たねばならないと異口同音に決意を表明していた。

 朝鮮は今、明確な目標のもとに「総書記の親筆といえる」(ソン管理委員長)新年共同社説を指針にして国内の全機関、全人民が奮い立っている。

 千里馬の手綱を引く者は、みなすべからく歴史の語り部となる。かつての56年12月がそうであるように、08年12月も永遠に伝え継がれるだろう。

[朝鮮新報 2009.3.4]