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6.25迎えた平壌 妥協許さない対米強硬世論

 【平壌発=金志永記者】「制裁には報復で、対決には全面対決で応える」(6月13日、外務省声明)。対米対決の現在の構図を表すこのスローガンは、最近、平壌市民の間で完全に定着している。

反米スローガン連呼

 米国およびその追従国が朝鮮の人工衛星打ち上げと第2次核実験を受けて強行しようとしている国連安保理の制裁措置は、朝鮮国内の結束をいっそう深める結果をもたらしている。

 朝鮮外務省が表明した「決死の抗争」という意志は外交的な駆け引きの表現ではない。実際に国内では総動員の態勢が取られている。朝鮮戦争勃発59周年を迎えた6月25日、市内の金日成広場で行われた大規模集会でも参加者らはこのスローガンを相次いで叫んだ。

 今年4月以降、首都の中心部にある広場や施設では反米スローガンが連呼される大会が連続して開催された。人工衛星「光明星2号」の打ち上げ成功の集会(4月8日)を皮切りに、第2次核実験成功(5月26日)、国連安保理制裁決議反対(6月15日)、「6.25米帝国主義反対闘争の日」(同25日)などだ。10万人あまりの市民が集まる名目はそれぞれ違ったが、米国の強権と専横に対する抗議の意志は一貫していた。

 これらの行事は朝鮮の強硬路線を証明するための「対外広報用のキャンペーン」ではない。テレビは必ずこの行事を実況で放送している。平壌で行われたものと同じ趣旨の集会が各地方でも開催されている。国家の自主権の守護と朝米対決の総決算を呼びかける熱を帯びた演説を、全人民が心に刻んでいる。

 米国と最後まで決着をつけるというスローガンは、人びとの中でかつての朝米対決についての思い出も呼び起こしている。

 1968年、米国の武装スパイ船「プエブロ号」が朝鮮人民軍によってだ捕された。米国はスパイ船と船員たちを送還しなければ、「報復措置」として朝鮮の港を爆撃すると脅迫した。朝鮮側からは「『報復』には報復で、全面戦争には全面戦争で」というスローガンが叫ばれた。結局、米国は板門店で自らの犯罪行為を認める文書に署名することになった。だ捕された「プエブロ」号は今でも大同江の川辺にある。当時、対米強硬路線を提唱し戦利品である「プエブロ」号は米国が謝罪しても返還しないという決断を下したのが今日の最高指導者である金正日総書記であることを人びとはよく知っている。

 人工衛星打ち上げと核実験を口実にした制裁騒動の渦中で、人びとは60年代当時のスローガンを再び口にしている。6月25日に行われた集会では、演説者が「『制裁』には報復で、全面戦争には全面戦争で」応えると声を強めた。

 朝鮮は、国連安保理の制裁決議採択の直後には「全面対決」で相対するとの姿勢だったが、ついに「全面戦争」も辞さないという覚悟を表明するに至った。平壌市民は米国とその追従国による圧迫攻勢が朝鮮半島情勢を戦争の瀬戸際に追い込んでいると話している。

 緊張激化のエスカレーションが極限に達しても、朝鮮側の意志が先に折れる気配は全くない。

 その理由について労働新聞6月9日付は次のように指摘している。

 「歳月は流れ世代も変わったが、強固な意志で千万の敵も正面から相対するという朝鮮人民の闘争方式は変わらなかった。朝鮮で前世代の強固な反帝闘争の意志がしっかりと継承されていることは、国と民族の運命、革命の運命を左右する重大な問題の一つが輝かしく解決されたことを示している」

 最近相次いで開催されている反米集会は、米国とはいかなる妥協もありえないという頑強な世論をさらに高めている。朝鮮では、「全面戦争」の危機を作った米国側の謝罪がないかぎり局面転換はありえないという世論が形成されている。

[朝鮮新報 2009.7.1]