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〈飛躍と前進の「150日」−C〉 女性従業員たちの団結

家族の協力で生産に拍車

 【平壌発=文・金志永、写真・文光善記者】平壌市中心部から離れた三石区域に小さな被服工場がある。生産される製品はチマ・チョゴリをはじめとする婦人服と子供服、学生服で、一部は賃加工方式の輸出品だ。従業員の大多数は女性労働者たち。以前は朝8時が出勤時間だったが、今では6時に全員集合しているという。

超過遂行

三石被服工場で働く女性従業員

 三石被服工場の経営幹部らは従業員たちに出勤時間の変更を強制しなかったという。

 「誰かが早く出勤すれば、みながそれに時間を合わせるようになった」とキム・チュンシル支配人(52)は話す。

 服の生産工程は流れ作業だ。ひとりの労働者ががんばっても能率は上がらない。キム支配人は時間と労力の浪費がないよう、作業分担に気を使う。「150日戦闘」が始まってから、工場の生産活動で目立ったミスはない。作業量は大幅に増えたが、従業員たちは一日の目標を達成するまでは現場を離れようとしない。

 現在、月間の生産実績は年の初めに立てた計画の170%を維持している。「150日戦闘」が終わる9月中旬までに年間の生産目標を達成する見通しだ。

 従業員の多くは工場から1〜2キロほど離れた地域に住んでいる。近所に住む者どうし、結束力は強い。1973年に工場が創業した時、住宅は平屋づくりだったが、従業員たちは自らの力で4階建てのアパートを建てた。結婚の有無や年齢に関係なく、職場で互いに助け合い、工場を盛り立ててきた。

夫の助け

 「150日戦闘」が始まってから従業員たちは、すぐ近くの自分の家で家族と団らんの時間を過ごすことがほとんどなくなった。流れ作業方式の生産にたずさわる彼女たちは、もともと退勤時間が遅い。自分だけ一日の作業を早目に終えて、家で夕食の準備をしながら夫の帰りを待つ生活とは初めから縁がないという。

 「150日戦闘」が始まってからはさらに忙しい。

 「工場での仕事は夫の理解と助けがなければやっていけない。創業当時、家にずっと帰ってこない妻に腹を立てた亭主が工場を辞めろと声を張りあげることもあったが、今では積極的に助けてくれる」とキム支配人は明かす。

 彼女は、忙しい時間を割いては従業員の家を訪問する。生活上の悩みがないか調べる一方、食糧事情など工場側で支援できることに関しては対策を講じる。

 「150日戦闘」期間、工場従業員たちの食事は家族が届ける弁当だ。夕方には夫が食事を届けに来る家庭も多い。

 キム支配人ももちろん家事をみる暇がない。義父と同居しているが、夕食の準備は区域の農村資材供給所で党書記を務める夫の役目で、彼女の夕食の弁当を届けるのは中学生の娘だ。

互いに刺激

 工場の経営陣は、「150日戦闘」に先だって従業員に呼びかけた。

 「2012年の未来はわれわれの働きぶりにかかっている」

 キム支配人も従業員たちに向かって、今年が「強盛大国の大門を開く」ための今後数年間の取り組みの成否を左右するとはっぱをかけた。

 工場の規模は小さいが、従業員たちは日々の作業が国の経済復興につながると信じて仕事に励んでいる。従業員どうしで刺激し合い、生産に拍車がかかる。

 職場を見回るキム支配人は、「われわれが消灯しないかぎり、いつまでも帰ろうとしない」と満足そうな表情を浮かべた。

[朝鮮新報 2009.7.22]