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〈飛躍と前進の「150日」−G〉 新岩協同農場の取り組み

競い合って収穫高アップ

 【平壌発=金志永記者】西海岸の最北端、中国との国境にほど近い平安北道龍川郡の新岩協同農場。農場の中心にある展望台からは国境地帯に広がる広大な田野を一望できる。遠く向こう側には中国・丹東市の風景が広がる。

毎年の現地指導

展望台から見る新岩協同農場の田園風景

 農場に足を踏み入れると、夏の厳しい暑さの中で農作業に汗を流す農場員の姿が目に飛び込んできた。

 ここ数年、同農場の年間の穀物生産高は毎年増加している。躍進のきっかけの一つは、他農場との「社会主義競争」だ。

 2007年から嵋谷協同農場(黄海北道沙里院市)、三支江協同農場(黄海南道載寧郡)、銀興協同農場(平安北道泰川郡)、東峰協同農場(咸鏡南道咸州郡)とコメの生産高を競っている。

 これらの農場は外部の支援なしに農業を営み、毎年高い収穫量を誇る全国的なモデル農場だ。

 競争1年目、新岩協同農場の成績は嵋谷協同農場に次ぐ2位だった。

 農場のキム・ヨンスン管理委員長(54)はこの結果に悔し涙を流したという。

 キムさんは結果を金正日総書記に直接報告した。総書記は1999年、初めて同農場を訪れて以来、06年から昨年まで3年連続して現地指導するなど、同農場への関心が強い。

 悔しさをばねに翌年、農場一丸となって増産に取り組んだ結果、同農場の当時の年間最高生産高を更新する成果を収めた。当然1位になるものと思ったが、嵋谷協同農場も譲らず、順位の変動はなかった。

豊作の条件

 穀倉地帯の黄海道にある嵋谷協同農場に比べ、鴨緑江から吹きつける激しい風を受ける北方の新岩協同農場には農業を営むうえで不利な条件が多い。平均気温は嵋谷協同農場に比べて1〜2度低い。稲作期間の積算温度は400度も違う。

 一方で有利な条件もある。90年代後半、平安北道で大規模土地整理事業が行われた。新岩里から小さな水田は完全になくなり、広大な田畑が造成された。

 05年には平安北道内に白馬―鉄山水路が完成し、農業用水の問題が解決した。

 さらに現在、興南肥料連合企業所(咸鏡南道)と南興青年化学連合企業所(平安南道)では化学肥料の新しい生産工程が作られている。

 新岩協同農場の近くに建つ楽元機械連合企業所では肥料生産ラインの核心設備である大型酸素分離機を製作中だ。

 キム管理委員長は、「われわれは肥料が不足する悪条件の中でもりっぱに農業を営んできた」と自負している。

 今年2月、総書記が楽元機械連合企業所を現地指導したというニュースに接して、肥料問題を解決して穀物の収穫高を大きく増やすことができるという確信を得たという。

高い目標に向けて

 新岩協同農場では「150日戦闘」に際して、収穫量アップという高い目標を掲げた。

 同農場は1963年、年間の穀物生産高で全国2位を記録したことがある。朝鮮戦争停戦から3年目の56年は1ヘクタールあたりの収穫量は5トンだったが、66年には6トンを超えた。90年代は厳しい経済的試練が続いたが、2000年代に入って収穫高は再び上昇カーブを描いている。昨年の1ヘクタールあたりの収穫量はおよそ10トンだった。

 それでもキム管理委員長は満足していない。仕事が思い通りにいかない時には夜も眠らず部屋で一人思索にふけることが多かったが、今年は考える前にまず現場に出て多くの仕事をこなしているという。

 総書記は昨年7月の現地指導に続いて、今年の小正月には同農場にトラクターを贈った。キム管理委員長は「増産の目標を達成して総書記の期待に応えたい」と奮起を誓った。

[朝鮮新報 2009.8.20]