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〈飛躍と前進の「150日」−H〉 田畑潤す水路、農場員の奮起

「昨日と違う今日」合言葉に

 【平壌発=金志永記者】稲作では種を蒔いた後、田植えに取り掛かるまで時間的な余裕が生じる。宝富協同農場(平安南道价川市)では、今年の5月12日から田植え開始前日の19日まで農場員たちが土木作業を行った。清川江の支流南川江に人工水路を設けて、農場まで引き入れることに成功した。

先送りされた課題

宝富協同農場を流れる水路

 電力を使わない「自然流式水路」の建設は同農場の長年の願いだった。しかし条件が整わず、ずっと持ち越されてきた。

 ここ数年、宝富里では農業用水の解決が難題として提起されていた。6台の揚水機を使って203町歩(1町歩は約1ヘクタール)分の農場に水を送っていたが、緊張する電気事情の中で機械は止まり、田畑が干上がった。同農場管理委員会のキム・ジョンボク委員長(53)によれば、「農業用水が確保できず、1町歩あたり1トンの収穫も出せないこともあった」という。一生懸命田植えをして、草取りに汗を流しても、秋には収穫の結果に落胆する体験を繰り返してきた。

 農場員たちは初めから腕組みしてじっと座り込んでいたわけではない。解決方法は明らかだった。南川江の流れをせき止めて「自然流式水路」を作ればいい。問題は堤防を作るためにセメントを含めた資材を確保することだった。一つの協同農場の力では解決が容易ではなかった。价川市当局も水路建設用の膨大な量の資材を農場へ優先的に回せる状況ではなかった。

 キム委員長は平安南道の順川セメント連合企業所を訪ねて「直談判」も試みた。その回数は数十回にのぼる。そのたびに、セメントは国家的な重要対象へ優先的に供給されるという厳しい現実に突き当たった。

田植え前のたたかい

 端から豊作を期待できないのに農作を営むことに虚しさを感じた。しかし、資材の問題を解決できない状況では、実りない作業でも続けるしかなかった。

 宝富里の人びとはあきらめずに立ち上がった。きっかけは人びとの意識の変化だ。2012年に「強盛大国の大門を開く」目標が掲げられ、全国の工場や企業所が達成した成果が報じられると、水路工事に対する考えも変わった。人びとは「今年水路を完成させられなければ10年遅れをとる」といった長期的な展望を持つようになった。

 やると決心して意見を集めたところ、これまで思いもよらなかった妙案が浮かんだ。南川江を数百bさらに上流へ上れば、堤防を積まなくても支流を作るだけで地形の勾配を利用して水が自然に流れることを発見した。本来の予定より水路の距離はさらに延びるが、労働力を動員すれば解決できない問題ではなかった。

 農場員たちは田植えを控えて作業に取り掛かった。

 「昨日と変わらない今日に暮らしてはいけない」

 キム委員長は農場で起きている変化を、農場員らの意識改革の面から説明した。

主婦たちも活躍

 日課が変わったのは農場員だけではない。協同農場の水路工事のために市の女性同盟が労働力支援隊を組織した。現地に赴いた約1200人の女性の大半は専業主婦たちだ。みなが一丸となって約一週間で1200メートルの水路を完成させた。

 2000年代に入って、价川−台城湖、白馬−鉄山など全国各地に大規模な「自然流式水路」が設けられ、多くの農場がその恩恵を受けるようになった。一方で、宝富協同農場のような単位では独自に水路を作るなどの自発的な動きが起きている。

 水路を建設した宝富里の人びとは、「努力した甲斐があった」と口をそろえる。電気を使用せずに広大な田畑へ水を引くことが可能になった。

 今年の収穫はかなり期待できるという。今後、水路をさらに延長する予定だ。宝富里の人びとの表情は明るい。

[朝鮮新報 2009.8.21]