top_rogo.gif (16396 bytes)

〈離散家族・親せき再会 金剛山現地レポート〉 変わらぬ統一意志

人道主義事業のいま

 再会事業は2000年の6.15共同宣言発表直後から07年まで16回にわたって行われた。05年8月からは画像再会(北南間に設置されたケーブルによるモニターでの面会)がこれと併行して7回行われた。

互いの幸福と再会を願い別れを告げる北と南の家族・親族ら

 しかし昨年2月、李明博政権発足後、北南関係が凍結状態に陥り人道主義事業も中断された。

 今回、約2年ぶりに行われた再会事業は以前と同様の慣例に従って行われた。面会する家族数や2泊3日の日程も以前と同じで、集団および家族別での面会、昼食会、晩さん会などが行われた。

 再会を果たした家族は、2泊3日という短い時間を惜しみながら、肉親の情を思う存分に分かち合った。3日目には別れなければならない。いつまた会えるのか、約束できないのが現実であるにもかかわらず、目に入ってきた光景は悲痛なものばかりではなかった。統一に対する希望と決意で胸を熱くしていた。

 一方、今回初めて金剛山面会所で再会事業が行われた。北南人道主義事業の象徴である同所での面会は、6.15共同宣言、10.4宣言の成果を継承することを意味する。

 しかし、現場を取り巻く雰囲気は大きく変わった。

 これまで、再会の現場では多くの金剛山観光客が離散家族と親せきらの再会の喜びを一緒に分かち合い祝福してきた。しかし今回、一般観光客の姿はなかった。98年に始まり、陸路も開かれ活発に行われてきた観光事業が昨年7月以来、中断されているためだ。

 「わが民族同士」の精神が生きていることを確認できた一方で、会場には北南関係が対決局面から完全に脱していない緊張した雰囲気が流れていた。

宣言履行の過程

60年ぶりに再会した父親を背負う息子

 今回、すべての行事が予定通り行われた。

 過去には、南側が北側の体制を中傷する発言をしたことによって行事が中断されたことがある。さらに、南側の保守メディアが家族と親せきらの対面よりも「国軍捕虜」や「拉北者」問題を取りざたしたことで行事が中断へと追い込まれた事例もある。

 今回の対面者の中には南側でいわゆる「拉北者」として伝えられている漁船トンジン号の船員2家族が含まれていた。「アクシデント」が発生する要素は十分にあったが、幸い前轍を踏むことは無かった。

 今回の行事を主管した北南双方は、行事の成功いかんが今後の北南関係に及ぼす影響を十分に認識していたようだった。

 北側は今回の行事が北南関係改善の新しいきっかけとなるよう万全を期した。

 南側の統一部も北南関係の今後の展望を占う時点だということで、職員らに最善を尽くすよう厳命したと伝えられている。

 今回、南側関係者らが思いがけない衝突が起こらないように努めたことについて北側の関係者たちは評価していた。

 しかし、残念なことは柳宗夏・大韓赤十字社総裁が宴会での公式発言において、6.15、10.4宣言に一言も言及しなかったことだ。

 離散家族・親せき問題は民族分断が根源であり、その解決は祖国統一と切り離しては考えられない。

 そのため、これまでに北南人道主義事業は6.15共同宣言を履行する方向で行われてきた。北南双方代表団団長も当然、離散家族再会行事のたびに北南共同宣言の履行を強調してきた。

 6.15共同宣言には人道主義問題が重きを置いて扱われており、10.4宣言には再会事業の拡大、ビデオレター交換などの問題まで具体的に明示されている。

 金剛山面会所には、今回の行事が李政権発足後の最初の両宣言履行過程になるべきであり、6.15以前のように1回きりで終わってはいけないという雰囲気がただよっていた。

 内外の注目の中で行われた今回の事業は、周辺環境が変わっても肉親を離れ離れにした分断の障壁を越えて必ず統一を遂げようとする同胞の意志を示した行事となった。しかし、再会行事を目前にして南側当局者が対決を鼓吹する発言を繰り返したことに、北側関係者らは不快感をあらわにしていた。

 南朝鮮当局が人道主義問題を解決して北南関係を発展させる意図があるのであれば、北南関係に新しい転機が訪れたこの時点で、北側を刺激する言動は慎むべきだろう。

[朝鮮新報 2009.10.7]