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〈論調〉 「非核」という欺瞞

 外相をはじめ日本の反動層が、核兵器を搭載した米軍艦船の寄港や領海通過を日本政府が黙認することにした密約を否認している。

 最近、村田元外務事務次官が、ある新聞とのインタビューで、1960年の日米安保条約の改定時、核兵器を搭載した米軍艦船の寄港や領海通過を日本政府が黙認することを密約した文書があったとあきらかにした。当時、日本に対する米国の核兵器の持ち込みは日米間で「事前協議」を経なければならなかったが、極東の「有事」に対処した寄港と領海通過は「事前協議」の対象ではないので黙認するとの密約があったというのである。

 これにより、米国の日本への核兵器持ち込みを秘密裏に容認して東北アジア地域に核の脅威を醸成してきた日本の正体が完全にあらわになった。

 ところが、日本の反動層は、それが「他国に衝撃を与えるとは思わない」だの、「日本の『非核』には変わりがない」だのとごまかした。日本は「非核3原則」に立脚していつまでも「非核国家」として残るということである。

 果ては、最近、国際原子力機関の事務局長の座を獲得した天野之弥が「日本は戦後、核不拡散で最大限の努力を行った」と言った。

 聞こえは良いが、現実は全くそうでない。

 日本は久しい前から核兵器の開発を追求してきた。

 また、60年代に採択した「非核3原則」の裏で、米国と核兵器の持ち込み、通過を容認する密約を行ったし、それに従って冷戦時代、米国が自国に核兵器を配備したことに対して知らぬ顔をしたり、沈黙を守ったりしてきた。

 日本は決心さえすれば数週間以内に核兵器を自力で製造できるし、1千発余りの核爆弾を製造できる40トン以上のプルトニウムを保有しているという。

 「非核3原則」を掲げてきた日本が今回、米国の日本への核兵器の持ち込みと通過を承認した内幕と、核兵器の開発を推し進めてきた事実が白日の下にさらされたのだから、彼らの「非核」がどのようなものであるのかは十分に察することができる。

 日本の反動層が騒ぎ立てる「非核」は偽装平和術策である。日本は決して軍国主義の本性と核の野望を隠せない。(労働新聞13日付論評)

[朝鮮新報 2009.7.22]