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〈論調〉 朝鮮統一を妨害

 日本は1965年、南朝鮮と締結した「協定」の3番目の条項に、朝鮮半島で「合法的政府」は南朝鮮「政権」であると明記し、その代価として植民地支配期間に朝鮮民族に与えた罪過を無効化し、再び朝鮮に侵略の足を踏み入れることができる道を開いた。

 1972年7月4日、祖国統一の3大原則に基づいて北南共同声明が発表されたが、日本は露骨に3大原則を中傷し、これに反対した。当時の南朝鮮駐在日本大使は「朝鮮の統一の悲劇が分裂の悲劇より大きいので日本は分裂を願う」との妄言まで吐いた。

 日本は、朝鮮が打ち出したさまざまな統一方案に対しても誹謗し続け、南朝鮮の分裂主義的路線は言葉を尽くしたたえた。南朝鮮当局が7.7宣言を発表すると、日本はあたかもそれが朝鮮の統一のための方途になるかのように支持、歓迎し、米国の「北方政策」の橋渡しの役まで引き受けた。

 また、第20回国連総会をはじめ多くの国連総会で、朝鮮代表が参加できないように「条件付き招請案」を持ち出した。

 半世紀がたったこんにちですら、日本は米国の朝鮮敵視政策に便乗して朝鮮に対する制裁と圧力騒動に狂奔しながら、朝鮮民族に対する二重、三重の罪悪を重ねている。(14日発朝鮮中央通信)

[朝鮮新報 2009.8.21]