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朝鮮の論調 09年 8月

 8月、朝鮮半島情勢は急旋回した。4日にクリントン元米大統領が訪朝し金正日総書記と会談を行った。10日には南朝鮮の玄貞恩・現代グループ会長が平壌入り。総書記との会見(16日)およびアジア太平洋平和委との共同報道文発表(17日)が行われた。18日、南朝鮮の金大中元大統領逝去にともない、総書記は翌19日に弔電を送り、特使弔問団を派遣した(21〜23日)。また特使弔問団は李明博大統領と面会した。ほかにも、中国の武大偉・外交部副部長一行が17〜21日まで平壌を訪れた。

−対米 元米大統領訪朝 「対話方式で問題を解決」

 94年のジミー・カーター氏以来15年ぶりに元米大統領が訪朝した。朝鮮中央通信は5日、金正日総書記がクリントン氏と会談を行った事実を報じた。

 その中で、「両国間の関係改善の方途と関連した見解を含んだ」オバマ大統領の口頭メッセージが総書記に伝えられたこと、そして「会談では朝米間の懸案問題が真摯な雰囲気の中で虚心坦懐に深く論議され、対話の方法で問題を解決することで見解の一致がなされた」ことなどが伝えられた。姜錫柱外務省第1次官と金養建朝鮮労働党部長が会談に同席したことも併せて報じられた。

 また、米国人記者の釈放に関する特赦が国防委員会委員長の命令によること、4日夕に百花園迎賓館で催された晩さん会が国防委員会の主催であったことも報じている。

 米政府は15年前の元大統領訪朝時と同様に今回の訪朝も私的なものとし、会談内容に関する公式な発表を行っていない。しかし、帰国したクリントン氏が訪朝結果の報告をオバマ大統領と2人きりの状況で30分にわたって行ったことは、記憶に留めておくべきだろう。

 ほかには、ウルチ・フリーダム・カーディアン合同軍事演習を糾弾する内容などが配信されたが、それ以外はとくになかった。

−対日 「対朝鮮敵視政策の放棄を」

 目立ったのは日本の「核武装論」に関する内容だ。 民主朝鮮は11日付で「米国の軍事同盟国として『核の傘』提供と『保護』を受けている日本に核兵器は必要ない」との記事を掲載した。

 労働新聞も同日付の記事で「日本が昔から核兵器開発を追求してきたことは公然の秘密」と主張し、いずれもその目的が軍事大国化にあると非難した。

 毎年8月は解放記念日を前後して、過去清算をめぐる日本批判のトーンが強まる傾向にある。

 今年も「破廉恥な土地強奪者」(労働新聞7日付)、「変わらない侵略的本性」(同13日付)など、日本に対する論調は例年になく厳しかった。衆議院総選挙前日、民主朝鮮は29日付の記事で「こんにち、朝・日関係は最悪の局面に直面している」と指摘し、「対朝鮮敵視政策の放棄」を主張した。

 政権交代を念頭においてのものと思われる。

−対南 李政権発足後 北南交流再開で初の合意

 10日、玄貞恩・現代グループ会長が平壌に入った(〜17日)。7泊8日という異例の長期滞在だった。

 朝鮮中央通信は16日に、金正日総書記が玄会長と会見を行ったことを伝えた。

 翌17日にはアジア太平洋平和委員会と現代グループによる共同報道文が発表された。

 共同報道文は、金剛山観光の再開や白頭山観光の開始など5項目からなる合意内容を伝えた。

 これにしたがって北南赤十字会談が金剛山で行われ(26〜28日)、離散家族・親せきの再会事業を9月26日〜10月1日まで行うことで合意した。

 また、軍事境界線を通じた陸路通行も9月1日から正常化されている。

 金正日総書記は金大中元大統領の逝去(18日)を受け、19日に遺族あてに弔電を送った。故盧武鉉大統領に対しては死去から2日後の弔電発表だったが、今回は翌日未明に発表。

 総書記は弔電で「民族の和解と統一の念願を実現する道で残した功績は民族とともに末永く伝えられるでしょう」と故人を称えた。

 また朝鮮中央通信は、総書記の委任を受けた特使弔問団のソウル訪問(21〜23日)とともに李明博大統領(23日)との面会も報じ、「北南関係を発展させていくことに関する問題が話し合われた」と伝えた。

 308という数を引っ提げて民主党が勝利した。安倍、福田、麻生…とまるで一年モノの鮎みたいに総理の首がすげ替わった時代も終焉を迎えた。

 政治に対する有権者の関心が低いとされてきた日本で、総選挙がこれほど耳目を集めたのも珍しい。巷間では、変化、変化という言葉が流行語のようにあちこちを徘徊している。

 新政権の対朝鮮政策はどうであろう。「安倍―麻生路線」を踏襲するのか。あるいは、文字通り「変化」させるのか−。

 百年後、歴史教科書に登場する「安倍晋三」「麻生太郎」への評価はおそらく散々なものであろうが、その脇に新総理の名が列するかどうかは、これからの対朝鮮政策にかかっているといっても過言ではない。

 機会というものは、そうそう都合良く訪れるものではない。逃すか、掴むかで天と地の差が生じる。

 いま、新政権には朝・日関係を改善させるための千載一遇の好機が訪れている。

 さて、新総理。

 逃すのか、掴むのか。(韓昌健記者)

[朝鮮新報 2009.9.11]