担当記者座談会 2009年朝鮮半島情勢を振り返る |
「変革の年」 内外で示されたリーダーシップ 今年1年の朝鮮半島情勢を振り返って、担当記者たちが座談会を開いた。 A 今年の朝鮮半島情勢を振り返ると、さまざまな出来事があった。毎年が「激動の年」と言われるが、とくに変化の多い年だったように感じる。
B 今年を象徴する言葉を選ぶとすれば、「変化」だろうか。朝鮮国内では「強盛大国の大門を開く」2012年に向けた取り組みに本格的に拍車がかかり、朝米関係は緊張から平和に向けた対話へと急転回を見せた。今年半ばごろから国内メディアには《痕戚
蟹澗 背》(変革の年)というフレーズがひんぱんに登場した。金正日総書記が語った言葉だという。
C 一方、米国では今年、「CHANGE(変化)」を標ぼうするバラク・オバマ氏が大統領に就任した。世界を混乱におとしいれたブッシュ政権8年を経た後の政権交代だっただけに、朝鮮半島をはじめとする国際情勢で肯定的な変化を期待する声がメディアを中心にあふれかえった。しかし、楽観的な見方が裏切られるのに時間はかからなかった。 D 人工衛星「光明星2号」の打ち上げ(4月5日)を機に激化した朝鮮半島の緊張は、2012年に向けた国家発展計画を推し進めようとする朝鮮に対して周辺諸国が横やりを入れたようなものだ。国連安保理議長声明や制裁決議などはその最たるものだろう。強盛大国建設は朝鮮にとって揺るぎない目標だ。国の科学技術力を示す衛星打ち上げは経済復興に向けて人々を鼓舞するための計画であったのだろう。朝鮮は制裁に対して、平和的発展の権利を踏みにじるものだと反発した。 A しかし結果を見れば、大国の傲慢に対して朝鮮があくまで自主路線を貫いたことで、状況は好転をした。 C 今年は、強盛大国の実現を阻害する内外の要因がさまざまな面で顕在化した年だった。その根本的な解決のための取り組みも本格的に始まった。朝米間では「平和」をテーマにした対話が始まった。
2012年に向け着々と
A 国内で「変革の年」という方向性を決定づけたのは、昨年12月24日に行われた金正日総書記の千里馬製鋼連合企業所に対する現地指導だろう。「強盛大国の大門を開く」取り組みで同企業所の労働者が先頭に立つことを呼びかけた。最高指導者が労働者を前にして、国が達成すべき目標とその期限を示し、彼らの奮起を促した意義は大きい。メディアは総書記が「新たな革命的大高揚のたいまつに火をつけた」と伝えた。 B 「新たな革命的大高揚」というフレーズは元旦の3紙共同社説にも登場した。昨年12月の現地指導の重要性を裏打ちするように、経済分野では製鉄、製鋼などの金属工業を重視する政策を打ち出した。 A 「150日戦闘」と「100日戦闘」という2つのキャンペーンが展開された。経済各部門では今年の目標を上方修正し、工場、企業所の設備をフル回転させた。多くの単位で年間の計画を超過達成した成果が報告されている。 C 経済分野で今年の流行語を選ぶとしたら、超高電力電気炉、チュチェ鉄、CNCなど候補は多い。チュチェ鉄と呼ばれる独自の生産工程が確立され、CNC工作機械が多くの現場に導入されたことは大きな成果だ。元山発電所の竣工によって電力問題を解決した元山市も話題となった。 D 科学技術分野でも、98年以来2度目となる人工衛星の打ち上げが行われた。平壌では10万世帯の住宅建設が始まった。 A 各地を取材する過程で経済の復興を実感した。1990年代の経済的苦境の傷跡は癒えた。設備を現代化し、カギとなる重要対象には大規模な投資も行った。06年には経済全般が「確固たる上昇の軌道に入った」と宣言した。数年前から復興の土台は築かれていたが、現場ではそのような実感に乏しかったのも確かだ。結果的に、今年の2つのキャンペーンがそれに気づくきっかけになったという見方もできる。 B 90年代までは停滞の悪循環だったが、今では逆に各部門の好調が全体の発展を推し進めるプラスの循環が続いている。 C 総書記の活動が大きくクローズアップされたのも今年の特徴だ。年間の公式活動の回数は過去最高を記録した。メディアの報道も変わった。「やつれた金正日将軍の姿」(労働新聞)という表現が新聞紙上に登場するなど、かつては考えられなかった。 A 92年以来17年ぶりに講じられた通貨交換措置にも関心が大きい。 B 中央銀行の関係者によると、今回の措置の目的は社会主義経済管理の秩序強化とインフレ抑制にあるという。通貨交換後の物価は国が価格調整措置を講じた02年7月の水準になるだろうという予測だ。 D 今回の措置が朝鮮の自由市場経済化を促すものではないかという憶測が一部で飛び交っているが、中央銀行の関係者は「社会主義経済管理の原則と秩序をさらに強化する」としている。「経済活動で国の役割が強化されるにつれ、市場の役割は次第に弱まるだろう」と見ている。 C 現地の反応はどうなのか? 大混乱が起きているという西側の報道もある。 B 「国と社会のため誠実に働き、報酬をえる勤労者を優待する措置」と言われているように、庶民の多くは今回の措置を歓迎している。 勇気与えた快挙 A 朝鮮問題では政治や経済など固い話になりがちだが、今年はスポーツや文化・芸術に関して話題の多い年だった。 B スポーツ界最大のニュースといえば、サッカーのW杯南アフリカ大会出場を決めたことだろう。66年大会以来、44年ぶり2回目の出場だ。 D 最終予選を控えた時点で、国内には予選突破を悲観する見方もあった。しかし、試合を重ねるごとにチームは成長し、人びとの応援もそれを後押しした。 A 安英学選手や鄭大世選手らがチームの中心選手として勝利に大きく貢献したことは、在日同胞の一人としてうれしい。彼らの快挙はスポーツという一分野にとどまらず、2012年に向けてがんばる国全体を勇気づけたことは間違いない。 D 凱旋した代表チームに対する歓迎ぶりはすごかった。本大会グループリーグは厳しい組み合わせとなったが、選手、関係者の士気は高い。来年、朝鮮代表の戦いぶりに期待したい。 緊張から対話へ急急転回 A 朝米関係は緊張激化から平和に向けた対話へと急転回を見せた。「米国の傲慢が緊張を醸成し、朝鮮の平和への意志が対話の基調を作った」とは平壌の外交関係者の話だ。 D 朝米対立は人工衛星「光明星2号」の打ち上げを問題視する国連安保理議長声明が発端になった。
A 衛星の打ち上げが問題視される場合には9.19共同声明が破棄され、6者会談は崩壊すると朝鮮が警告していたにも関わらず、米国は国連安保理での議長声明採択へ踏み出した。昨年末の時点で6者会談は破綻の一歩手前にあったが、朝鮮は対話の流れを維持しようという姿勢だった。1月のオバマ政権発足の際も、問題解決に向けて積極的な姿勢を見せた。しかし、新政権の対朝鮮政策は迷走した。安保理議長声明によって6者会談の枠組みは崩れ、朝鮮は自衛措置として核抑止力の強化を宣言した。
B すべての国が平等に持つ宇宙開発の権利の行使が制裁の対象にされた。衛星打ち上げでも弾道ミサイル発射でも、誰が行うかによって安保理の行動基準が変わるというのは明白な2重基準だ。議長声明や制裁決議を自主権の侵害ととらえるのも当然だろう。 A 朝鮮側は停戦協定の法的当事者である国連の制裁を停戦協定の破棄、すなわち宣戦布告として受け止め、核実験や大陸間弾道ミサイル発射実験などの自衛措置をとらざるをえないという立場を明らかにした。これを、米国の関心を引くための「瀬戸際戦術」と見るのは間違っている。 C 5月、朝鮮は2度目の地下核実験を断行した。核実験に対する安保理制裁決議が採択されると、緊張は一気にエスカレートした。 B 転機は8月に訪れた。クリントン元大統領が電撃的に訪朝、金正日総書記との会見が実現した。当時、米国は「女性記者2人の釈放」のために元大統領が「個人資格」で訪朝したと発表した。しかし、その後の事態の進展からすると、釈放劇の裏側で朝米間の懸案に対する意見交換があったのだろう。8月の会見を機に朝米は対話路線に戻る。12月にはボズワース特別代表がオバマ大統領の親書を携えて平壌を訪れた。 D 衛星打ち上げをめぐる朝米対立は、朝鮮半島でいまだ戦争が終結していない現実を反映している。ここで朝鮮半島問題解決の核心的な課題、すなわち朝米交戦関係に終止符を打ち、朝鮮半島の政治・軍事的対立の構図を解消する問題が浮上することになる。今回の平壌での朝米会談では平和協定締結問題を含めた懸案が議論された。 C 朝鮮はクリントン元大統領や温家宝首相の訪朝などを積極的に活用し、各国の利害関係が絡み合う朝鮮外交をリードした。朝米の敵対関係は直接対話によって必ず平和的関係に転換されなければならない、朝米会談の結果を見て6者会談を含めた多国間会談に臨む−。このような立場が6者会談議長国である中国の首相の口から伝えられた。 A 朝鮮半島問題をめぐる外交は新たなステージに入ったといえるだろう。次官級による従来の6者会談のプロセスとは異なった様相を呈している。 D 国交樹立60周年を迎えた朝中関係にも言及しておきたい。両国は今年を「朝中友好の年」に定め、年間を通じて交流、協力事業を展開した。 A 両国は政治、経済、軍事を含めた諸分野で結びつきを強めている。友好関係のさらなる発展を目指す互いの立場は一貫している。新時代の朝中関係の展望を示した「朝中友好の年」は両国関係の新たな出発点になった。 D 外交ではもう一つ、フランスとの関係改善の動きも注目を集めた。 C フランスはEUの主要加盟国中、唯一朝鮮と国交がない。先日、両国の関係正常化に向けた最初の措置として、平壌にフランスの文化協力事務所を開設することが発表された。 改善の流れ定着せず C 北南関係はどうか? 8月以降、北側が講じた一連の措置によって改善の流れが生まれた。 B 昨年来、北側は李政権に対して、6.15、10.4両宣言の履行を促してきたが、南側はこれを拒否する政策を選択した。北側としては朝鮮半島の軍事的対立の現実を直視し、自衛措置をとらざるをえなくなった。1月17日の朝鮮人民軍総参謀部スポークスマン声明や、1月30日の祖国平和統一委員会声明などが代表的な例だ。 D 一方、南朝鮮では盧武鉉前大統領と金大中元大統領が5月と8月に相次いで死去するという悲しいニュースもあった。 A 8月には金正日総書記と現代グループ会長との会見が行われ、金剛山と開城観光の再開、陸路通行の原状回復などが合意された。9月末には離散家族の面会が2年ぶりに実施された。北側は金元大統領の死去に際した特使弔問団をソウルに派遣した。 D 改善の流れは確かに生まれたが、それが定着したとは言いがたい。李政権は北南共同宣言の履行に基づく関係改善に積極的に取り組んでいない。民間レベルの接触と協力事業も遮断され、南朝鮮内部では統一運動団体に対する弾圧が続いている。 C 来年は6.15共同宣言発表10周年になる。現在、朝鮮半島情勢は転換期にある。北南関係も来年の宣言発表10周年という節目の年に関係改善に踏み出し、この流れに合流しなければならないだろう。(整理=李相英記者) ▼日誌 3月
18日 金英逸総理訪中、「朝中友好の年」開幕式(〜10月5日) [朝鮮新報 2009.12.28] |