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若きアーティストたち(63)

アイブロウ&アイリスト 田蓮娥さん

 「美しくありたい」というのは、多くの女性の望みだろう。そのため、「メイク」という工夫を一つも二つも顔に加える。

 しかし、「眉やアイラインがうまくひけない」「朝のメイクに時間をかけたくない」「スポーツで汗を流したいけど、メイクが落ちてしまう」など、その悩みは尽きない。

 そんな悩みに応えてくれるのがアートメイク。今、世界的に流行しているアートメイクは、ハーブの成分を用いた色素を皮膚0.01ミリ程度に入れる特殊なメイクで、汗や水、洗顔しても落ちず持続性がある。

 田蓮娥さんは、アイブロウとアイラインのアートメイク、まつげのパーマとエクステンションを提供しているアートメイクサロン「ASSU」(東京・銀座)でディレクターを務める。

 「メイク道具で描くより自然に、素っぴんでいかに美しく見せられるかを追求しながら施している」

 おしゃれ好きだった彼女は、中、高級部生と成長していくにつれ、美容全般に深く興味を持つようになっていった。

 「美容に関われる職を手にしたい」と、高級部卒業後、美容専門学校に入学。生理学や衛生学、デッサン学にメイクやエステ、ネイルアートの技術など美容の基礎を身に着けた。

 その後、都内のエステサロンでエステティシャンとして働き、腕をどんどん上げチーフにまで昇格した。

 ところが2年後、思いがけない肩の故障によって、エステティシャンの道を断念せざるえなくなった。

念入りにアイブロウのデッサンをするまなざしは真剣そのもの

 その頃、アートメイクを受けたエステサロンの顧客の姿を見て、衝撃を受けた。「単純に、あまりにキレイだったから」。

 「エステは即効性が少ないし、やり続けないとすぐに効果が落ちてしまう。けれども、アートメイクはすぐものになるし、持続性に長けている」−そんなところに魅力を感じ、道を転換させた。

 それから、学校に通う資金を貯めるため、昼は事務、夜はバーで身を粉にして働いた。ようやく学校に通い始めるも、生活費を賄うため、引き続き事務の仕事につき、夕方からレッスンを受けた。

 仕事をしながらの勉強は体力的にハードだったけれど、「やりたいことだったし、一度やろうと決めたことだからがんばれた」と、屈託のない笑顔を見せる。

 1年後、ディプロマを取得し、アートメイク専門家として新たなスタートを切った。

 「眉毛ひとつで顔の印象は変わる」から、とりわけカタチにはこだわる。ゲストの理想とデッサンが等しくなるよう、1時間以上を費やし描くこともある。

 今でこそメジャーになりつつあるアートメイクだが、数年前までは、ゲストも技術者も中高齢層が多く、また「刺青」というイメージが先立った。だから、初めてのゲストでもリラックスできるよう、カウンセリングは徹底的に、店内はアットホームな雰囲気作りを心がけている。

 現在、4人のスタッフを抱え、技術指導から経理、人事などサロンの流れ全体を動かしている。長時間にわたる細かい手作業、ゲストの顔の一部に手を加えるため、細心の注意が要される。常に気を配っていなければならない。しかし、鏡を見たゲストの喜ぶ顔に、その疲れも一気に吹き飛ぶという。

 急成長を遂げているアートメイク。その技術や道具の発展も著しい。常に新しく良いものを提供するため、毎年行われる日本最大のビューティー国際見本市「ビューティーワールドジャパン」や他サロンに足を運んだりと技術向上にも余念がない。

 「昔のイメージを払拭させ、新しいアートメイクの流れを作りたい」と抱負を語った。(姜裕香記者)

※1983年生まれ。東京朝鮮第1初中級学校、東京朝鮮中高級学校、03年東京ビューティーアート専門学校卒業。その後、東京・銀座のエステサロンで2年間従事。05年アートメイク指導校パーマネント・コスメティック・ジャパン(当時)のディプロマ取得。06年から東京・銀座にあるナチュラルアートメイクサロン「ASSU」に勤務。現在、同店のディレクターを務める。

[朝鮮新報 2009.3.23]