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私たちがいつか 先生になったら −都鐘煥−

 私たちがいつか 先生になったら
 この国のいちばん純朴な
 子どもたちのそばへ行きましょう
 小舟に乗って川を渡り
 川面にきらめく朝陽の滴
 さわりながら来る子ども
 通学路で野花をいくつも摘んでは
 教卓の花瓶に挿す子ども
 田畑の畦道汗で濡らし
 草の匂いにまみれて働く子ども
 果物の匂い、土の匂い
 甘く体に染み込ませ駆けてくる
 そんな子どもたちのそばへ行きましょう

 私たちがいつか 先生になったら
 波をかきわけ この国のいちばん離れた
 孤島へ行きましょう
 昨夜坑道にアボジが埋まり、黒い涙の跡
 まだ消えぬ子どもたちのそば
 背負子にぎっしり貧困背負い
 生涯土を掘り続け
 顔が土色になってしまった
 アボジを横たえた
 子どもたちのそばへ行きましょう
 彼らが呑んだ涙
 彼らの耳に刻まれた
 呻きのそばへ行きましょう

 私たちがいつか 先生になったら
 うそ偽りのない学校へ行きましょう
 子どもたちの澄んだ瞳
 欺かぬ学校へ行きましょう
 正しい教え、真実の言葉が
 たくさん詰まった教科書を手に
 教室に入ることができる
 学校へ行きましょう
 終業の鐘の音聴きながら
 真理をまっすぐ教えた悦びで
 胸がいっぱいになる、
 そんな学校へ行きましょう
 行って塵ほどの偽りも取払う
 先生になりましょう

 私たちがいつか 先生になったら
 休戦線鉄条網のすぐ下にある
 学校まで行きましょう
 風吹く中江鎮、蓋馬高原
 あの地まで行きましょう
 行って私たちが
 新しくひとつになるために
 身を投げ打つ先生になりましょう
 如何にこの国この民族の歴史が
 狂ってしまい
 如何に真に一つとなる
 若者になるべきかを教え
 清らかなる青春
 白髪となるまで教え続け倒れ
 そこに骨を埋める 先生になりましょう

 「今はたとえ君たちの傍を離れようとも」
 (1989年、第三文学社)

 ト・ジョンファン(1954〜)

 忠清北道清州生まれ。教職の傍ら同人誌「分断時代」で詩作を始め、89年全国教職員労働組合活動によって解雇、投獄。98年に復職したが体調を崩し、現在は療養中。

(選訳・金栞花)

[朝鮮新報 2009.3.30]