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〈朝鮮と日本の詩人-88-〉 鹿地亘

死をも恐れぬ強靭な愛国心

 おおそれは私を泣かせる、
 このわかものを見よ!
 ぐるぐる巻きに柱にゆわえられ
 的のしるしを胸にさげ、
 眼かくしの下に、眼に見えぬ天を仰ぎ、
 少女のような無心の唇をほころばせ、
 声なきそのことばをきくがよい。
 −とこしえの自由の花ひらく、
 祖国のためならいのち 一つは何と
 小さい代価であることか!

 「朝鮮の愛国青年が処刑されている光景を見て」という説明を付した詩「写真」の全文である。

 右の詩は平易すぎるほど平易である。しかし、朝鮮の革命闘士の、死をも恐れぬ強靱で清純な愛国心を「少女のような無心の唇をほころばせ」という詩句で、極めてエフェクティヴ(効果的)に、詩的に表現している。この詩は淡々とした、散文とも思えるような手法でかかれているが、それは広く読者に訴えたいという思いがあったからであろう。作者のモチーフは、ひとつには、日帝の残虐行為への問責と怒りであり、他のひとつは、祖国は尊いものであり何ものにもかえがたいという、愛国心の高貴さである。

 鹿地亘(1903〜82)は本名瀬口貢で大分県に生まれ、東大国文科卒業後同大学の博士課程を修了した。学生時代からプロレタリア文学運動に加わり、30年に短編「労働日記と靴」で認められ、小説のほかに童話と詩を書き、また、評論家としても名をなした。32年に日本共産党に入党して検挙されたが偽装転向で出獄すると中国に渡り、日本人民反戦同盟を結成して日本兵の投降工作や捕虜の教育を担当した。敗戦後帰国したが米軍謀報機関にスパイとして拉致された。釈放後も米ソ二重スパイ事件に連座して起訴されたが無罪となった。小説「平和村記」「脱出」など多くの著作を残した。

 4.24教育闘争のとき、在日朝鮮人学校事件真相調査団の一員として阪神地方の調査に当たり、米占領軍と日本当局に抗議するなど民族教育守護の運動に力をそそいだ。この詩は「病床日記」と題された一連の詩作品のなかの一編である。(卞宰洙・文芸評論家)

[朝鮮新報 2009.4.20]