〈朝鮮と日本の詩人-89-〉 大岡信 |
「かくもデブチンになり」 信じられない話だ 酷寒の冬は かれらはみな 信じられない話だ 「慶州旅情」(全文)である。第1連と第2連は、戦中と戦後の困窮の時代と、戦後復興の現実を、アイロニカルに凝縮している。第3連は、敗戦を10代の初めに迎えた詩人みずからの苦難の体験であろう。最終連の「―デブチンになり」「化学肥料たっぷりの」2行は高度成長期に入って物資万能主義に傾斜する現実への批判的凝視と読める。そして、「韓日条約」締結後に、日本の独占資本の南朝鮮侵出に疑問を呈し、自分も講演者として、訪「韓」したことを、これでいいのか、と問いただしている。 大岡信は1931年静岡県生まれで東大国文科を卒業した。旧制中学の時からガリ版刷りの同人誌を出すなど早熟の詩人で、「赤門文学」「櫂」「今日」などの同人になり、第2次大戦期のフランスのレジスタンス詩人・ポール・エリュアールやシュールリアリズムの作品の影響をうけ、多くの詩を発表した。岩波新書の「折々のうた」は人口に膾炙した。主な詩集は「記憶と現在」(56年)、「わが詩と真実」(62年)など。この詩は「大岡信全詩集」(02年)から選んだ。 (卞宰洙・文芸評論家) [朝鮮新報 2009.4.27] |