初夏、東柱のバラの内部に 「真実の過去よ戻れ。偽りの未来よ退け。」 |
冬が去り春になろうとする頃、私の心の中で色濃くなる一人の詩人の面影がある。尹東柱(1917〜45)。戦時下の日本へ留学し、私の暮らす京都の同志社大学に学んだ人だ。
2006年の秋、「空と風と星と詩」(金時鐘訳・もず工房)を初めて読み、目をみはった。金氏のぴんとはりつめた美しい日本語を弦に、詩人の魂の清冽さが、時空と言語を超えて私の中で鳴り響いた。やがてその端正で抒情的な詩風だけでなく、生涯からも私は「縁」を感じ始めた。私が大学で卒論に選んだリルケを愛したこと、京都での下宿が私の家のすぐそばにあったこと、通学路や従兄弟の下宿や拘留先の警察署も、私の生活圏内であること。そうした「縁」が水や光となり、彼の存在と詩世界はいきづきだし、私の内部に美しい花をひらかせた。「どこにこのような内部を包む/外部があるだろう。どのような傷に/この柔かな亜麻布はのせるのだろう。」(注1)とリルケがうたったバラのように。東柱という花は、まさに「柔かな亜麻布」として、読む者の絶望や悲しみにそっと花弁をのせてくれる。詩人自身は魂に傷を負って詩を書いた。だがその詩からは、痛みを超えた魂の輝きこそが伝わってくる。 「死ぬ日まで天を仰ぎ/一点の恥じ入ることもないことを/葉あいにおきる風にすら/私は思いわずらった。」(注2) この詩はいつも私の中に深く、金色の血を滲ませる。東柱の詩と生は、私の魂を傷つけるように磨くのだ。 2007年初夏、私は「文藝春秋」の依頼で一篇の詩を書いた。「プロメテウス―尹東柱に」と題するそれは、いわば東柱へのオマージュである。
「加茂大橋の欄干にもたれ 夏の北山をのぞむ/(白い闇を抱え)私は帽子をまぶかに/死ぬ日まで天を仰ぎ≠ニ呟く小さな人になる(誰もみない)/遠近法よ 揺らげ…/(緑は故郷のように近づき 水は未来の北方を青く映す)/光、光、絶え入るすべての至福と哀しみ その明るみ…/詩人が恥じ 慕わしく消した名童舟≠熕テかに蘇る/この冬 春の幻のようにあなたをふかく知った/私を呼ばないでください≠ニいう遺言に逆らい/プロメテウスと名付ける あなたを知ってゆく私を」(全文)
この詩の背景には実際の出来事がある。ある暑い梅雨の晴れ間、私は白い帽子をかぶり、鴨川にかかる加茂大橋にたたずみ北山を眺めた。鬱屈とした気持の中で暑熱の異常な予感を感じていた。「白い闇」とは、私がそのとき抱えていた悩みを象徴する(「この冬 春の幻のようにあなたをふかく知った」は、同年の冬、東柱の詩を書き写すことで、ある辛い経験を耐え抜いたことを暗示する)。 帽子に顔を隠し、欄干に身をあずけながら、ハッと思った。東柱もまた通学の途中でこの山々の緑を見たのだ、右手には拘留された警察署も同じ場所にまだある−。その実感が汗のように滲みだし、「白い闇」を洗ってくれた。帰郷の直前に逮捕された詩人が、宿命の予感の中で向けていた絶望のまなざしに、自分自身のまなざしが重なっていった。山の緑と川の銀がかった青がふっと迫った。詩人は、明るさを装いながらも暗い翳りをしのばせるこの北方の風景に、未来を、つまりまさに今ここにいる私が眺めている風景を見ていたのではないか。喉はうごいた。この風景に対して、何かを言わなくてはならない、言葉を投げかけなくては―不思議な衝動の中で私が感じていたのは、詩人を非業の死へ冷然と見送りながら、微動だにもせず(山が動かないのは当たり前だが)、清冽な瞳から放たれた絶望のまなざしを呑み込みつくした自然の悪意。そして、背後を行き交う車が無慈悲に響かせる、詩人の存在を消し去りつづける時間のむきだしの笑い。「遠近法よ 揺らげ…」と私は鋭く命令した。真実の過去よ戻れ。偽りの未来よ退け。「今ここ」よ、揺らげ…。 また京都に夏が来る。景色に変化が少ない街の、東柱が見たのとあまり変わらない景色が、「内から溢れ、/限りない夏の日々へ流れ入る」(注3)。ふたたびめぐり来る暑い日に、詩人の橋に立ち、天を仰ぎこう自問したい。あの時からどれだけ「プロメテウス」になれたか。ぎらつく太陽から、この世の戦火から、どれだけ言葉の中へ火を奪ってこれたか。「プロメテウス 哀れなプロメテウス」(注4)…詩人の静かな声は、依然として未来の北方にこだまする。永遠の責め苦に耐え抜いた果ての叫びは消えない。今こそ言葉は受け止めなくてはならないと思う。初夏の空にひろがる叫びのバラを。花ひらきつづける東柱の詩の内部に、私たちはなお、詩を託される者として囚われているから。(河津聖恵、詩人) 【注】1、3=「薔薇の内部」高安国世訳 、2=「序詩」金時鐘訳、4=「肝」同前 [朝鮮新報 2009.5.11] |