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朝鮮半島北半部で初めて石窟庵遺跡を発掘

高麗末〜李朝初期に建造

石窟庵の内部の仏像彫刻

 高麗(918〜1392年)末から李氏朝鮮(1392〜1910年)初期にかけて造られたとみられる石窟庵遺跡が平安北道郭山郡草庄里で発掘された。

 石窟庵とは自然または人工的に造成された洞窟の中に作られた小さな寺を指す。

 現在まで朝鮮半島で発掘された石窟庵遺跡では、慶尚北道慶州の石窟庵や、同じく慶尚北道軍威郡の八公山にある石窟庵などが知られている。

 朝鮮半島北半部で石窟庵が発見されたのは今回が初めて。

 新たに発掘された石窟庵は別名、通景山石窟庵と呼ばれている。平安北道郭山郡の中心部から東北方向へ3キロほど離れた通景山のふもとの小山の中腹にある。

 石窟庵周辺には高句麗時代の陵寒山城と高麗時代の長慶寺五重石塔、寺遺跡の開元寺と弥勒堂址など、中世期の文化遺跡が多い。

 石窟庵の入口は細長く、その高さは3.3メートルほどになる。

 入口左側には高さ9メートル、幅7メートルになる厚い石が傾けて立てられており、右側にも2つの大きな石が立てられている。

 いくつもの自然岩でできた石窟庵内部は東、南、北の壁が垂直になっている。西側の壁が傾いている三角形の形をしており、南北の長さが5.4メートル、東西の幅は2.1メートルほどになる。

 洞窟内の東、南方の壁面には三尊像と四天王像など7つの仏像彫刻が刻まれている。

 彫刻技術が優れているのは阿弥陀三尊像だ。顔の表情と両手の形など人物表現が繊細で、蓮花支柱などもその彫刻手法がいきいきとしている。

 石窟庵を作ったのは、仏像などの偶像物を神秘化させて永久保存するとともに、悪天候の条件でも宗教儀式を行うためだといわれている。

 社会科学院考古学研究所のチャン・チョルマン研究員(39、博士)によると、通景山石窟庵は今までわかっていた南半部の慶州石窟庵や軍威石窟庵に比べて、外部の造りが特別に大きく壮大であり、学界の特別な関心を集めている。

 朝鮮半島北半部で初めて発掘された郭山郡草庄里の通景山石窟庵遺跡は、朝鮮民族文化の優秀性を明確に立証する貴重な文化遺産として、仏教寺院建築史をはじめとする朝鮮中世歴史研究に貴重な資料を提供している。【平壌支局】

[朝鮮新報 2009.5.15]