〈朝鮮と日本の詩人-98-〉 堀川正美 |
北に帰る友への絶唱 底なしの罪のなかで部落の葉緑素はつめたい涙/夜のよこっぱらはバーナーの火でえぐられっぱなし/ブルドーザーとクレーンがのたうちながら/民族の魂をさがしつづけた。 異母兄弟よ、空の盗賊/差別をこえてわれわれが出あったとき/境界でまっさおな暁を指でうめかせたっけな/屑鉄戦争、すりばちの斜面。 その朝でさえ百年の夜を化合していた。けれども/いまは怒りや悲しみのメダルを手渡して笑う/ひとかたまりの精鋭家族、おげんきで。/闘いのこころに食いいるるりいろ朱いろたち、さよなら、さよなら。 はるかはるかな巻雲のしたには約束の土地/ウミネコは岩からにゃあにゃあさけぶ。/しずかなひときれの海をのこして/国税なしの日曜月曜へ移るきみらを送る。 海風は這う。時の橋脚はそびえゆく/ほろびの都市のうえに。東京はナショナリストや/コミュニストの碑銘さえない夏雲の足もとに眠った。加羅、沈香、まだまだだれにもふさわしくない。 この詩「おわかれ」(全文)には「李に 崔に 金に きみたちの祖国に」という献辞がある。第1連と第2連は、解放前の在日同胞の苦難の歴史と、彼らとの友情を分つ詩人の姿勢を定めている。第3連は帰国する友人への惜別の情を瑠璃色と朱色で浮かび上がらせている。第4連は「約束の土地」社会主義の共和国への理解を示している。最終連では、過去の厳しさと同様にこれからの生活も、たたかいで築くものであることを暗示している。全行に暗喩が散りばめられているし、直喩、換喩も多い。日本の友人が帰国する朝鮮人を送る絶唱の一編である。 堀川正美は1931年に東京で生まれた。48年に日本共産党に入党し、51年に早大露文科に入学したが中退。52年の極左的運動の末期に離党し、同人誌「氾」をつうじて詩人の道を歩み始めた。詩集「太平洋」「枯れる瑠璃玉」他と評論集「現代詩論」などがある。(卞宰洙 文芸評論家) [朝鮮新報 2009.7.21] |