〈本の紹介〉 冬の森 |
厳しい人生にさした春の光 尹健次は、在日や日朝関係の歴史、韓国の思想などについて学者としてすでに多くの業績をあげている。しかし、若いころに詩集を作っていたことはあまり知られてはいなかった。2008年刊行の「思想体験の交錯」(岩波書店)では自作詩「旅路」とたくさんの引用詩が盛られているので詩に親しんできたことがわかる。 このたびの詩集「冬の森」には、最近の詩作と大学生時代の詩集が収められポエジーの原質を明らかにしている。とくに、若いころは人生を誠実に歩んでいきたいという純粋さを感じるものの、在日としての基点はそんなにはっきり出ていなかった。むしろキリスト教に近づいていた時期で内面性と孤独感が強い。だが、学者としての仕事を重ねるなかで、在日の過去・現在・未来に対する認識が深まり、詩の表現に社会性と厚みがもたらされた。 そこには、伴侶・尹嘉子との出会い、共同の闘い、死去による別れという体験が大きく働いている。〈意味のない闘いに疲れた日々/巡りあった妻に救われる〉〈静かにゆれる振り子/妻と二人で耐え忍んだ一〇年の年月/ようやく書き終えた学位論文/精神の遍歴 試行錯誤の辛さと歓び/ようやくひとつの形にできた幸運〉〈日本と朝鮮のはざまで「在日」を自覚する/右に左にゆれ動いた振り子〉この「振り子」という作品は、尹健次が在日としてさまざまに模索した日々を簡潔に表している。 「あとがきにかえて」で、「アイデンティティの模索が詩魂の核心部分をなしている」と語り、自己探求の求道的態度が若い時からの一貫した詩精神であろう。 詩「守れない」「妻のごはん」など多忙な執筆と看病の両立に苦しむ姿は胸を打つ。劇作家の永井愛は「喪失の哀しみに満ちてはいますが、写真では残せない嘉子さんの姿を甦らせてもくれるのです」と温かい跋を寄せた。 さらに、尹健次のもう一つの大きな主題は自然である。表題と同じ詩「冬の森」は、自然のなかで孤独を守り、生命の源に祈りを捧げる姿が印象深い。父母の故郷は慶尚道であるが、在日二世として京都に生まれた尹健次は自然が一つの拠り所だったのかもしれない。 私は、尹嘉子さんに一度お目にかかったことがある。どこかタンポポを思わせる明るくて若々しい方だった。突然のご逝去は信じがたく誠に残念だが、「冬の森」だった厳しい人生に春の光がそばにいた恵みを詩集全体に感じるのである。(尹健次詩集、影書房、2500円+税、TEL 03・5907・6755)(佐川亜紀 詩人) [朝鮮新報 2009.7.31] |